きっかけはアルジェリア移民二世の少年の死
パリ中心部から電車で20分ほどにあるナンテールは、1968年に起きたフランスの大規模な学生運動「五月革命」のきっかけとなった町である。パリ大学ナンテール分校で始まった民主化運動が、世界的な学園紛争へと発展していった。
この町で6月27日の朝、交通取り締まりに従わなかったアルジェリア移民二世の少年(17歳)が警官に射殺された。
この経緯をスマホで撮影していた人がSNSに動画を投稿したことで、警察の説明と違って緊急性はなく至近距離から少年を撃ったことが分かり、若い移民系を中心とする大暴動がフランス全土に広がった。
車や建物に火を付けるだけでなく、武器を使ったり、ある町では市長の自宅に重量車が突っ込んで家族が負傷したりする騒動が3日間ほど続いたため、これまでの抗議行動とは質が違うのではないか、と危惧されたのだ。
都心のスラム化防止により、移民が郊外に集中
ただし、危機的だったのは「郊外地区」だけだった。なぜ郊外かというと、1960年代あたりから欧米の都市の都心部がスラム化したが、フランスでは建築規制を強化して低所得者を排除した結果、移民の多くは郊外に住んでいるからだ。この「分断」への反発が大規模な暴動につながったと言える。
もちろん、シャンゼリゼの高級ブティックが略奪に遭ったり、来年のパリ五輪に向けて建設中の施設に放火されたりしたが、非常事態の宣言もなく、夜間の公共機関が止まった程度だった。
テレビも、当初は厳しく警察を批判したが、すぐに暴徒批判に切り替わったし、パリ市内では、ほとんど平穏無事だったようだ。私のパリ在住の友人は、海外における大げさな報道を見て心配して帰国したビジネスマンの夫に聞いて、初めてこの暴動事件を知ったという。
イギリスやアメリカのマスコミは、いつもフランスなどヨーロッパ大陸の危機を針小棒大に報道する。EU統合はうまくいかないと言い続けたが、ユーロは約25年間、びくともしないし、逆にブレグジット(英国EU離脱)は大失敗で経済がガタガタになっている。