夫との意外な出会い
14歳で終戦を迎え、2年後に新制高校2年に編入後、京都府立医科大学に入学、医師への道を歩み始めた。同級生80人中、女性はわずか12人。当時の医学部は大学2年で2度目の入試があり、関門を突破し、卒業後は大学院に進んだ。英文タイプができるという理由で病理学教室に「招集」され、その流れで病理学教室で大学院を修了することとなった。
英子さんはこの教室で、夫となる歯科医と出会う。
「研究生で来ていて、脳の中の神経を染めていて、それは新しい技術で、魅力があるなって見ていたんです。上手にきちんと染めるし」
まさか、神経を染める姿に胸キュンとは。英子さんは28歳で結婚、その後、産婦人科医として勤務しながら、出産もした。
29歳から41歳まで、妊娠・出産・授乳を切れ目なく
1960(昭和35)年に第1子、62(昭和37)年に第2子、63(昭和38)年に第3子、これが次男の親さんだ。66(昭和41)年に第4子、68(昭和43)年に第5子を出産。
第5子を出産した年、客員講師となった。しかしその後すぐ、世話になっていた教授が亡くなったのを機に勤務医から離れ、そこから14年、子育てに比重を置くこととなる。
2年後の1970(昭和45)年に第6子、72(昭和47)年に第7子を出産。英子さんは29歳から41歳までの12年間、妊娠・出産・授乳の日々をほぼ切れ目なく送るのだ。男が3人、女が4人、第1子と第7子は12年、年が離れている。
「子育ては母親がほとんど、手伝ってくれました。母が亡くなって、末っ子だけは私一人で育てたみたいなものですが、それまではよく手伝いに来てくれて、助けてくれました」
次男の親さんも、こう語る。
「どちらかと言えば、僕らはおばあちゃんにずっと育てられた感じです」
英子さんが、そうそうと笑う。
「だから、上の子どもはみんな真面目ですね。母がきちんと育ててくれたので」
親さんがつけ加える。
「なので、下の3人はどっちかと言えば、母親の関与する部分が多いので、性格が似てるんじゃないかな。どちらかと言うとやんちゃな子が多いかもしれないですね」