2010年ごろは中国指導部も慎重だったが…

スウェーデンのSIPRI(ストックホルム国際平和研究所:Stockholm International Peace Research Institute)という、世界でも有数のシンクタンクがあります。紛争、軍備、軍備管理、軍縮等について学術研究を行う、独立した国際研究機関で、『SIPRI年鑑』は特に有名です。

そのSIPRIから、2010年に「中国は氷が融けた北極に備えている」という報告書が出版されます。その報告書では中国のこういった一連の北極への積極的な関与を分析した結果、一部学者からの積極的に参入すべきであるといった意見はあるものの、国家としては、きわめて慎重で沿岸国に配慮したものである、と分析していました。2010年頃はまだ、様子見という認識だったようです(Linda Jakobson,“China Prepares for an Ice-free Arctic”)。

流氷
写真=iStock.com/mlharing
※写真はイメージです

一方、南シナ海や東シナ海における中国の海洋進出ではいくつものトラブルを起こし、インド太平洋地域では注目されていました。ベトナムやフィリピン、地域を管轄する米太平洋軍(当時、いまはインド太平洋軍)では、同軍の音響測定艦インペカブル号へのハラスメント(軍事用語で「不測の事態を招きかねない危険行為」、2009年)に代表される、中国の強引な海洋進出が問題視されていました。そして日本で尖閣諸島周辺領海内での中国漁船による海上保安庁巡視船への衝突、船長逮捕事件の対応をめぐり、日中関係が緊迫した状況となったのが2010年のことです。

2011年の全人代で海洋権益の保護・拡大を明確に

こういった海上での強硬姿勢といつにするというか、その前提となる外交姿勢でも強気な場面が増えていきます。こういった強硬姿勢に転じた中国情勢を分析した、中国専門家の毛利亜樹先生は、「2010年は中国外交が、鄧小平が『韜光養晦とうこうようかい』という言葉で表現した慎重な姿勢を事実上放棄した年として記憶されるかもしれない」と、悪夢の予言のような分析をしていました〔毛利亜樹「『韜光養晦』の終わり――東アジア海洋における中国の対外行動をめぐって――」(『東亜』=East Asia:中国・アジア問題専門誌 2010年11月号)〕。

2011年3月に実施された全国人民代表大会(全人代)においては、第12次5カ年計画が採択され、「海洋経済発展の促進」と題する項目が盛り込まれ、海洋権益の保護と拡大をより一層重要視する姿勢が打ち出されていきます。