三角駅で降りた乗客は、そのまま向かいの港で待つ船「シークルーズ」で天草へと渡る。船は他会社の運営だが、水戸岡デザインによって統一性をもたせ、鉄道から船への旅を演出する。
一方、鹿児島中央~指宿(いぶすき)を結ぶ「指宿のたまて箱」、通称「いぶたま」を例に、唐池は「観光列車自身が移動手段にとどまらず、観光資源になってきた」と言う。
「指宿の祭りで『いぶたま』の張りぼてが練り歩いたり、旅館で玉手箱というメニューが出されたり、街が列車のテーマでもある浦島太郎伝説にもう1回反応している。我々が思っていたよりはるかに大きく列車自身が成長しているんです」
こうした水戸岡デザインの観光列車が走る路線の乗車率は軒並み上がり、廃線の憂き目にあう寸前のところで救われた路線も少なくない。だが、ここでも唐池はアジアを意識する。
「九州は特に人口減少、少子高齢化が進んでいて、これからそれがますます加速する状況にある。そんな中でお客さまを増やすには、アジアの方々に来ていただくのが一番。定住人口が減ったら、交流人口を増やすという当たり前の戦略です」
唐池は早くから手を打ってきた。23年前から走り始めた「ゆふいんの森」の乗客の半分以上はすでに中国や韓国の人々だ。もちろん、由布院の街も同様である。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時
(松隈直樹=撮影 JR九州=写真提供 ドーンデザイン研究所=パース画提供)