もちろん、鉄道運輸事業においても劇的な改革は行われ続けてきた。JR九州と競合するのは、自家用車であり高速バスである。利便性と価格の点で決して鉄道に利があるとはいえない。JR九州初代社長に就任した石井幸孝は、そんな状況を打破するため、「攻めの経営」に徹し、国鉄時代には不在だった「お客さま第一」「地域密着」を掲げた。

「攻め」が端的に表れたのは、列車デザインである。石井は、JR九州発足とほぼ同時に、水戸岡鋭治という外部の無名デザイナーを登用する。石井からの命題は、「もはや我々には失うものは何もない。とにかく乗客の感性に訴える思い切ったデザインを」というものだった。


A列車で行こう(熊本~三角)
2011年10月運行開始。三角港から船で天草へ渡る旅程を想定した観光路線。バーカウンターが設置され、ハイボールが楽しめる。JR九州の客室乗務員は、サービスの質の高さに定評があり、進んで記念撮影の声がけなどをする。顧客目線を追求し、「JR九州のファンをつくる」のだ。

92年、そうしたJR九州の思いがひとつの形となって世に生まれ落ちる。博多~西鹿児島(現・鹿児島中央)間を走る787系新型特急「つばめ」である。約85億円を投じてつくられたこの列車は、それまでのローカル線に蔓延していた「汚い、臭い、美しくない」を払拭した画期的な列車として、世間をあっと言わせた。すぐれた鉄道デザインに与えられる国際的な賞「ブルネル賞」をはじめ、内外の批評家からも高い評価を受けた。

この列車での成功を機に、JR九州は、「はやとの風」「いさぶろう・しんぺい」「海幸山幸(うみさちやまさち)」など水戸岡デザインによる斬新な新型車両を次々と投入していく。単なる通勤通学列車ではなく、「観光列車」として位置づけられた列車群だった。

たとえば、11年10月に走り始めた「A列車で行こう」は、熊本~三角(みすみ)間を結ぶ9つ目となる観光列車で、列車内には天草をテーマにしたシックなバーを設えた。

「地域が持っている特性に物語を見出し、列車へとつなげていく」と唐池が言うように、車内のそこここに天草の歴史や文化がデザインされている。