衣服を貫通するプリアポスの男根
プリアポスは愛の女神ヴィーナス/アフロディテの息子だった。ということは、美しい外見を持つロマンティックな青年だったと思うかもしれない。しかし古典時代の神話によると、彼は呪いのせいで醜く好色で、まるでギャグ漫画のように巨大なその一物は、ローマ美術では床に引きずらないように両手で抱えた姿で表現されることもある。
豊穣と富の象徴であると同時に、プリアポスは庭園の守護神でもあり、裏口から忍び込んできた侵入者や泥棒は誰でも彼に貫かれた。ローマ人が、番犬であると同時に強姦魔でもある神を崇拝していたというのはずいぶん奇妙な話だ。文学や芸術作品ではしばしばコミカルな存在として描かれていることを知ると、なおさらだ。
ポンペイの有名なフレスコ画でプリアポスが身につけている服は、左下に真っ直ぐ伸びる巨大な男根を隠すことにまったく成功していない。これはまじまじと見つめずにいられない代物だ。プリアポスの男根は、さらに目立つようにしばしば赤く彩色された――つまり彼は真っ赤なお鼻のトナカイのペニス版だったわけだ。
プリアポスの彫像や画像はローマ世界ではごくありふれたものだったが、現在では、多くの小学生が見学に訪れるような地元の美術館にはめったに展示されていない。理由は言うまでもないだろう。
その代わりに、美術館に行くと、あるいは幸運にも地中海でバカンスを楽しめる場合、まったく違う種類の古代彫刻にしばしば遭遇する。英雄に捧げられた美しい大理石の男性像で、波打つシックスパック、力強い太もも、太い腕、筋肉質の尻、たくましい胸、丸みを帯びた肩、そして……ええと……質問者の言葉のとおり、驚くほどつつましい男性の象徴を持つ。
古代ギリシャ・ローマの「美的感覚」
最も単純な説明は、古代の美的感覚によれば、小さいペニスのほうが美しいと考えられていた――プリアポスの巨根は彫像の優雅な均衡を崩してしまう――というものだ。小さな一物はまた、優れた知性の象徴でもあった。動物や野蛮人や愚か者は、馬鹿げた情熱や劣情に支配されているため、巨根を持つと考えられていた。しかし文明化されたギリシア・ローマ人は、理性的で洗練された文化人ではないか。その偉大さの源は頭脳にあるのであって、下着のなかではない。
実際ギリシア人の考えによれば、美しい外見は神々からの贈り物で、その美は魂にも反映されていた。美しい青年は同様に優れた心ばえを持つとされ、この思想は、美と善良さの調和を意味するkaloskagathosという言葉に象徴される。
現在、そう考える者はいない。なによりテレビのリアリティ番組で、一見ゴージャスな人が実はひどい人間だったり、愚かだったりするのをしばしば目のあたりにしているからだ。しかしその正反対の概念はシェイクスピア劇や現代映画でもしばしば認められ、悪の巨魁は多くの場合、まるで内面の堕落が表面に浮かび上がってきたかのように、醜かったり大きな傷跡を持っていたりする。