「対談形式」には登壇者の逃げ場がない

さて、ここまでは「対談形式」の「得」に焦点を当ててきた。以降は反対に「損」の部分を考えてみたい。

最も大きな「損」。それは「会見の登壇者の逃げ場がどこにもない」ことだ。

大勢の記者が集まる会見の場合、「質問はひとり1問」といった制約が課されていることが多い。名目は「ひとりでも多くの記者に質問の機会を得てもらうため」なのだが、真の目的は「厳しい追及でも自動的にストップをかけられるようにする」ためだ。

経営者であれ、芸能人であれ、記者会見に登壇するほど出世した人物であれば、1、2問であれば、問題なくかわすことができる。質問数の制約は、いわば保険のようなものとも言える。

だが「対談方式」となれば、この「自動シャットダウン」は途端に機能しなくなる。仮に司会者が退席を促したとしても、「ちゃんと答えてもらっていません!」などと、記者は居座ることができてしまうからだ。仮に「ルール違反」だとして、主催者が力ずくで退席させたとしたら、それこそ「強権的」、あるいは「逃げている」ように見られてしまう。

当時の菅官房長官の記者会見で、執拗しつような「追及」を続けたことで知られる東京新聞の望月衣塑子記者。もし菅官房長官の記者会見が「対談形式」で行われ、望月記者が横に座ったとしたらどうだろうか。少なくとも私は、望月記者の「ルールに従って、おとなしく退席する姿」を想像できない。

2019年9月11日、第4次安倍第2次改造内閣の発足で、閣僚名簿を発表する菅内閣官房長官
2019年9月11日、第4次安倍第2次改造内閣の発足で、閣僚名簿を発表する菅内閣官房長官(写真=© 内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

ニコニコ動画が会見の意味合いを変えた

さらに主催者にとって「損」なのは、「記者会見で一旗あげようとする記者たち」を誘発しかねないという点だ。

注目の人物と「対談形式」で向き合うことができる機会は、記者といえど多くはない。まして、フリーランスやニッチなメディアなど「会社の看板」だけでは単独取材が取れない記者であれば尚更だ。

余談だが、記者会見というのは長らく「優秀な記者」にとっては、「仕方なく出席するもの」だった。記者会見とは、そもそも広報や官僚が練り上げた型通りの「公式見解」を読み上げるだけの儀式的なものなのだからだ。しかも、同業他社が全員揃っている場なので、自分だけの「独自情報」になることもないからだ。

記者会見の意味合いが変わってきたのは、2010年代に「ニコニコ動画」が政治家などの記者会見の中継を始めた頃だったように思う。記者にとっては「仕方なく出る場」だった会見が、いつしか世間から「取材の主戦場」と見られるようになったのだ。そして、昨今は(是非はさておき)「官房長官会見発のスター記者」望月衣塑子記者が「誕生」するに至る。