「失礼で横柄な記者」は会見場から姿を消す
もうひとつ抑止効果を期待できるのは、記者の「失礼な聞き方」だ。今年2月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が次世代大型ロケット「H3」初号機発射を試みたものの、異常を検知して打ち上げを直前で「中止」したことがあった。
直後に行われたJAXAの会見で、打ち上げは「中止」だったのか、あるいは「失敗」だったのか。登壇したJAXA職員と共同通信の記者のあいだで言い合いが生じた。結局、JAXA側の説明に対し、記者は「それは一般に失敗といいます」と、あきらかな「捨て台詞」で締めくくったのだ。このような態度は、さすがに「対談形式」では取りづらい。
そして、3点目は「第三者に逃げているという印象を与えにくい」効果だ。
先月の「広島サミット」での岸田総理の記者会見を振り返りたい。岸田総理の去り際に、会見で質問の機会が与えられなかった記者が「逃げるんですか!」と罵声を浴びせたことがあった。
もし、このときの総理会見が「対談形式」で行われていたとしたら、どうだろう。いくら当該の記者に質問の機会がなかったとしても、ついさっきまで別の記者と一対一で向き合っていたのだから、第三者の目にはとても逃げているようには見えないはずだ。
「厳しい質問そのもの」を封じる効果はない
さて、では、広報の実務からは最も気になる点である「厳しい質問そのもの」を封じる効果はどれほどあるのか。結論からいうと、私は「質問内容」を変えさせるほどの「抑止効果」はほとんどないと考えている。
理由はシンプルで「記者を長年続けているような人間は、カメラに臆して質問できなくなるほど、気弱でない」からだ。ましてテレビの記者であれば、カメラで顔を出すのは「記者レポート」などで日常茶飯事だ。
前述の通り、一部の記者に見られる「失礼な聞き方」を封じる効果は確かにある。だが「質問内容そのものまでは変えられない」と言えるだろう。
ある程度の経験がある記者であれば、「失礼な印象を与えずに不躾なことを聞く」ための「小技」は必ず持っているものだ。
例えば、一世を風靡した「カリスマ経営者」が「時代の波」を読み違え、経営不振に陥ったとする。「社長、こんなに業績が悪化しているのに辞めないんですか」と記者会見で問うのは、実績ある経営者に対して、さすがに礼を失しているように思える。
だが「ネットなどでは経営責任を問う声も高まっていますが、自ら身を引く考えはおありでしょうか」などと「第三者の声がある」という体で聞けば、どうだろうか。「自分の意見」として聞くのに比べ、不躾な印象はかなり緩和されるはずだ。
いずれにせよ「対談形式」によって、マス「ゴ」ミと揶揄される遠因とも言える「失礼で横柄な記者」は会見場から姿を消しそうだ。