知識だけでなく「学び方」も習得させねばならない

――世界が、より速く複雑に変わっていく中、授業の進め方が標準化された工場型モデルの教育は、もはや機能しないのでしょうか。

そうだ。半世紀以上前は、工場型一斉授業がうまく機能していた。誰もが知識労働の世界に進むわけではなかったからだ。当時は多くの人々が製造業に就き、文字どおり工場で働いていた。

そうした時代には、成績を基に、生徒たちを(一部のエリート層と、将来、ブルーカラーの仕事に就くグループなど)いくつかのレベルに分類し、そのレベルごとに標準化した教育を施していればよかった。大半の人々が、専門知識なしに、工場労働者として、まずまずの賃金を稼ぎ、生計を立てられたからだ。

だが、もうそんな時代ではない。非常に多くの人々が知識経済に身を置き、知識経済自体も急速に変化している。子供たちには知識をつけさせるだけでなく、「学び方」も習得させなければならない。すさまじいペースで変わっていく世界で働き続けるには、社会人になっても絶えず新しいことを学んでいく必要があるからだ。

つまり、学校の「パーパス(目的・存在意義)」が変化し、(エリート層と中流層といった)生徒間の「壁」が取り払われたのだ。

「学校の外」を知らない教師の教育だけでは不十分

――学校のパーパスが変化したということですが、どのように変わったのでしょう?

昔は職場や仕事にさほど変化がなかったため、学校であまり知識を身に付けつけなくても、社会人になる準備を整えることができた。だが、もはや社会が様変わりし、学校のパーパスも変わった。急速に変わる世界で生きていくための知識やスキル一式を学校で教えるべきだ。

次に、もはや教師が子供たちの将来を決める時代ではなくなったという意味でも、学校のパーパスが変わりつつある。学校が成績を基に子供たちの進むべき道を決めるのではなく、子供たち自身がさまざまな選択肢を模索できるようにすべきだ。「自分とは何者か」「何をしたいのか」「どのような形で世界に貢献し、世界を変えられるのか」を考えさせ、生徒自身に進むべき道を決めさせる。

今や学校は知識を教えるだけでなく、生徒たちが社会人とのつながりを持てるよう支援する必要があるという点でも、学校のパーパスが変化している。学校は外界と遮断されている場所だからこそ、生徒たちが、社会人の先輩といったメンターを持ち、異なるキャリアの道を模索するチャンスを持てるようにすべきだ。

つまり、人的ネットワークという「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」の構築を後押しすることも、今や学校の役割の一つなのだ。教師は他業界から隔絶された場所で働いており、世界が急速に変化していることを必ずしも実感しているとは限らない。だからこそ、生徒たちを社会人と交流させることの重要性が高まっている。