「もうソニーのことは忘れよう」となれない日本

――オンラインで日本の公立校の入学式を見ると、体育館での一糸乱れぬ整列や、号令に基づく整然とした生徒たちの動き、校長先生の祝辞など、一見しただけでは昔の入学式と区別がつきません。世界が激変する中、日本の未来を担う子供たちの多くが、硬直化した慣習や工場型一斉授業など、型にはまった指導を受けていることも、日本企業が破壊的イノベーションを起こせなくなった一因と言えるのでしょうか。

日本には、既存の体制を敬う文化がある。過去や伝統への崇敬とでも言ったらいいだろうか。産業界も同じだ。クレイトン(・クリステンセン教授)は日本が抱える問題について、いつも次のようなことを話していた。

「日本は破壊的イノベーションで世界市場の頂点を極めただけに、『もうソニーのことは忘れて、ベンチャーキャピタル業界の構築に軸足を移そう。また、一から出直そうじゃないか』とはなれないのだ」と(注)

注:日本の家電業界が世界を席巻したという過去の栄光が足かせになり、戦後のように振り出しに戻って新たな分野で出直そう、という捨て身になれないことを意味する。

学校に話を戻すと、既存体制の踏襲という意味では、率直に言って、アメリカの学校も同様だ。誰もが学校に通える義務教育には「消費者」というものが存在しないため、イノベーションが起こりにくい。破壊的イノベーションは、消費者あってのものだからだ。

こうした事情に加え、既存体制への崇敬を考えると、日本の学校制度自体をイノベーションで変革するのは至難の業だろう。

ひるがえってアメリカの教育現場で最もエキサイティングな動きは、わが子に従来の学校教育を受けさせない親が目立ち始めていることだ。将来、こうしたムーブメントが従来の学校教育にイノベーションをもたらすかもしれない。

何年も前の話だが、韓国に長期間滞在した際、こんな質問を生徒たちに投げかけた。「勉強する場として、塾と学校のいずれかを選べるとしたら、どちらを希望する? 片方を選んだら、もう片方には通わなくてもいいとしたら、どちらがいい?」と。

子供たちは異口同音に、「塾がいい! 学校には通いたくない!」と答えた。もし、そうした選択を可能にする政策が誕生したら、学校や塾で、どれほど多くのイノベーションが起こることか。そうでもしなければ、学校制度の変革は一筋縄ではいかない。

「過去への崇敬」を逆手に取ることもできる

――日本にグーグルやアマゾン、メタ(旧フェイスブック)、アップルというテック大手「GAFA」が生まれない一因が教育にあるとすれば、日本の教育の何が問題だと思いますか。解決策は?

大切なのは、子供たちが自ら何かを生み出せるような環境をつくり、教師が創造性の育成を後押しすることだ。創造性を鍛えれば、彼らが将来、起業家として、次世代の偉大な企業を生み出してくれるかもしれない。そうすれば、かつて世界を席巻した、日本企業による破壊的イノベーションの再来が期待できる。

次に、先ほど弊害として話した「過去への崇敬」を逆手に取ることも大切だ。生徒たちが過去について学ぶことで、その知識が未来のイノベーションとして花開くかもしれない。例えば、日本が誇る伝統をどのように新たなアイデアと「ブレンド」し、イノベーションを起こすか、といった具合だ。

日本は過去から学ぶことに長けているだけに、日本文化を変革するのではなく、既存の文化を礎にして新たなイノベーションを起こすのも一手だ。