しかし、『孫子』は、ここで空虚な理念を説いているわけでは決してない。通常、我々は勝てそうだったら戦う。勝てそうになければ戦わない、という二分法で考える。しかし、『孫子』の二分法は違う。短期決戦なら戦う。それで勝てないなら、戦わずに政治外交戦略で何とかする、と考える。

この考え方は応用範囲が広い。例えば、ある業界でA社が値引き合戦の口火を切る。他社も追随して長期化し、泥沼化する。しかし、経営資源の枯渇したA社が「値引きをやめる」と宣言したとしても、他社は絶対にやめてくれない。結局、A社が潰れたら、最初の値引きによる利益など何の意味もない。つまり、まず値引きせずに生き残る方法を考えたほうがいいことになる。

社内の人間関係も同じだ。上司や同僚という目の前の敵を蹴落とすことばかり考えても、最終的にそれが自分の出世や利益に繋がらなければ、何の意味もない。その場で負けることで、逆に長期的な利益を手にすることすらある。『孫子』はこのように、長いスパンで物事を見ているのが特徴だ。

作家
守屋 淳

1965年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務を経て、中国古典研究家として執筆・講演活動。著書に『最強の孫子』(日本実業出版社)、『孫子とビジネス戦略』(東洋経済新報社)、守屋洋との共著書に『全訳「武経七書」』(全3巻、プレジデント社刊)ほか。

実は、現在の戦略論で一定の流れとなりつつあるのは、利害関係者とはある程度共存共栄の関係を築くべきだ、という発想だ。テーブルの下で足を蹴りあっても、大枠では手を握り合う。戦略を駆使して目先の利益を得ても、長期的な利益を損ねる可能性は確実に出てくる。敵の足を引っ張るという意味での戦略は果たして使うべきかどうか、という議論すらある。そう考えると、社内に敵をつくらず出世してゆくやり方は、ある種の理想だともいえる。『孫子』が想定しているのは、敵が多数いて、一つ負けると滅亡しかねないという厳しい状況だ。それゆえ「兵は詭道なり」と、相手を騙して勝つことを重視する。自分を弱そうに見せて敵を油断させ、準備の手を緩めさせてうまく勝っていく、という発想だ。

実際、本当に戦略的な人は、表向きはそうとはわからない人である。私が一度お会いした大手生保のナンバーワン営業マンは、一見冴えないし、人間的魅力があるようにも見えなかったが、何か相手を安心させる、心の構えを解いてしまう雰囲気があった。

要は、相手を構えさせてはダメだということ。身構える顧客の警戒心を解き、いかにしてその懐に飛び込むかを考えることが重要で、相手の構えを解くために、一見弱くてダメな者のように外面をつくっていく。これこそ強力な戦略的手段といっていい。

逆に、自己顕示欲を抑えられず、「俺は切れ者」とか「凄いんだ」というオーラを出している人は、実は戦略的とはいえない。大企業の社長でも、本当に鋭い人がいる一方、敵をつくらないのがうまくて出世できたと思われる人もいる。歴史上の人物でいえば、『三国志』に登場する司馬仲達が典型であろう。晩年、お粥もすすれない痴呆を装い、政敵が油断したところで挙兵しこれを駆逐した故事があるくらいだ。

(構成=西川修一 撮影=若杉憲司 写真=C.P.C.photo、Bridgeman Art Library/PANA)
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