加賀藩二代目藩主の前田利常(1593~1658)に、面白いエピソードがある。彼は、筑前守や肥後守を歴任し、改作法や十村制といった藩政改革を成功させたキレ者だった。

ところが彼には、ちょっと変わった振る舞いがあった。それは、鼻毛を異様に伸ばしていることだ。

家臣たちはあきれて、側近の鼻毛をわざと抜かせてアピールしたり、鼻毛抜きを届けさせたりして、陰に陽にとたしなめようとした。

するとある日、利常が家臣たちを集めてこう切り出したのだ。

「そなたたちが、私の鼻毛が伸びたのを心苦しく思い、また世間でも鼻毛の伸びたうつけ者と嘲笑っているのは重々承知しておる。

しかし、利口さを下手に鼻の先にあらわしてしまえば、他人は警戒して、思わぬ疑いや難儀を受けるともかぎらない。こうやって馬鹿の振りをしているからこそ、加賀、能登、越中の3ヵ国を保ち、領民ともども楽しく過ごせるのではないか」

当時の江戸幕府は、各藩のささいな過ちを咎めては、とり潰しなどの重い処罰を与えていた。特に、加賀藩のような外様の大藩は、危険視され、狙われやすかったのだ。

家臣たちは、その言葉を聞いてみな平伏したという。『三十六計』には、この前田利常のエピソードそのままの謀略がある。

それが「仮痴不癲(かちふてん)」。次のように説明されている。

「利口ぶって軽挙妄動するよりは、むしろ、わざとバカになったふりをして行動をひかえたほうがよい。したたかな計算を胸に秘めながら、外にあらわさないのである。それはちょうど冬の雷雲がじっくり力を蓄えて時を待つ姿にそっくりだ」

まさしく。利常のようにバカになった振りをして、身を守ったり、相手の油断を誘って、そこに付け込もうという策略なのだ。

人というのは、どうしても外見の印象や言葉だけで他人を判断しがちになる。「仮痴不癲」はこの傾向をうまく活かした謀略になるわけだが、こうした問題は現代のわれわれにも、もちろん無関係ではない。

「顔学」という、人間の顔を研究している学問のなかに、こんなユニークな実験結果が報告されている。

「人の顔というのは、一般的に目が大きく、左右対称の造形をしている方が、誠実に見られやすい。では、こうした外見と中身が一致するのか、というと、実は逆になりやすいというのだ」(『顔を読む 顔学への招待』レズリー・A・ゼブロウィッツ 大修館書店)