「世界中で日本だけが遅れている」というデマ
医学のふりをしているけれども実際には根拠のない「ニセ医学」には、さまざまなバリエーションがあります。最近よく目にするのが、「世界中で日本だけが遅れていて、日本人が犠牲になっている」というパターンです。
たとえば、よくあるデマに「世界では使われなくなった抗がん剤が、在庫処分のために日本だけで使われている」というものがあります。抗がん剤は現在も進歩を続けていて、世界的にも標準医療です。30年前ならいざ知らず、いまどき抗がん剤治療を否定する医師はヤブ医者でしょう。こうしたデマがつくられる目的の一つは、がん患者さんを標準医療から遠ざけ、高価な自費診療に誘導することだと思います。
食の安全に関するデマもよくあります。「日本の食品添加物や残留農薬の安全基準は、世界で最も低く、日本人の健康が脅かされている」と主張する人たちがいるのです。実際には他の先進国と同じく、日本の食品は厳しく管理されていて、日本だけがとくに危険な状況ということはありません(※1)。個人の好みで無添加・無農薬の商品を利用するのは構いませんし、そうした商品を扱う業者の多くは根拠なく食品添加物の危険性を煽ったりはしません。しかし残念ながら一部の人たちによるデマが再生産され、なかなかなくならないのです。
※1 おいしい健康「食品添加物の安全性と情報リテラシー」
江戸時代の食事は理想ではなく寿命も短い
現在の日本の食事が危険だというデマを信じる人たちは、「江戸時代の食事が理想的」などとよく言います。しかし、当時の平均的な食事は塩分や炭水化物が過剰である一方、たんぱく質や微量栄養素が不足しがちで、健康的ではありませんでした。ビタミンB1欠乏症である「脚気」によって、多くの人が亡くなることさえあったのです。今の日本の平均的な食事のほうがずっと健康的であることは間違いありません。
そして、江戸時代の日本人の平均寿命は40歳くらいだったそうです(※2)。乳幼児死亡率の高さが平均寿命を引き下げていた面もありますが、それを割り引いても現代の日本人のほうが長生きであることは間違いありません。ある研究では江戸時代の10歳の男子の平均余命は50.7年、女子は47.2年だとしています。令和3年の日本では10歳の男子の平均余命は71.7年、女子は77.8年です(※3)。江戸時代と比べ、現代日本では大体20〜30年間も長生きできます。
昔の日本と比べるだけでなく、世界各国と比べても日本の平均寿命は高い水準にあります。男性の平均寿命はスイスやノルウェーに抜かれる年もありますが、女性はおおむね世界1位を維持しています。この日本人の長い平均寿命を、日本人は在庫処分の抗がん剤を押し付けられ、残留農薬や食品添加物まみれの食事を食べているというデマを信じている人たちはどう捉えているのでしょうか。
※2 長澤克重「19世紀初期の庶民の生命表」
※3 厚生労働省「令和3年簡易生命表の概況」