「国際的名声」のわな

日本文化の伝統に触れつつ、「脱原発」を明確に打ちだしたスピーチの内容も、ヨーロッパの人びとをつよく意識したものだといえます。

日本文学研究者
助川幸逸郎

1967年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、横浜市立大学のほか、早稲田大学、東海大学、日本大学、立正大学、東京理科大学などで非常勤講師を務める。専門は日本文学だが、アイドル論やファッション史など、幅広いテーマで授業や講演を行っている。著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『可能性としてのリテラシー教育』、『21世紀における語ることの倫理』(ともに共編著・ひつじ書房)などがある。最新刊は、『光源氏になってはいけない』(プレジデント社)。
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ヨーロッパ各国は、チェルノブイリ原発の事故で、巻きぞえになるかたちで被害をうけました。このため、放射性物質を撒きちらした「当時国」としてどのような責任をとるか、という視点から、日本を注視している人びとがヨーロッパにはたくさんいます。そうしたまなざしに、春樹はおそらくこたえようとしたのでしょう。

日本人のほとんどが、じぶんたちを原発事故の「被害者」だとみなしています。近隣諸国に放射性物質を拡散させ、汚染の不安をおよぼしたという意識は希薄です。

巻きぞえ被害をもたらした「当時国」の代表、という立場を、春樹が積極的にひきうけたことそのものは、尊敬に値します。ただし、春樹があの場で何を背負っていたのかは、多くの日本人にとって、説明されなくてはわかりません。さらに、ヨーロッパの人びとのまなざしにおとらぬほど、日本国内の被災者をおもいやっていることを、春樹はスピーチのなかでしめしませんでした。

スピーチの折の服装だけでなく、スピーチの内容も、春樹は現地の空気しか読まなかったのです。このため、一部の日本人の反感を買うことになったのでした。

この連載の第4回(>>記事はこちら)に書いたとおり、春樹の小説は、「作者の主張」を読者に押しつけてきません。ディズニーランドのアトラクションのように、読者に作中世界を体験してもらい、その体験の意味は読者それぞれがじぶんで考えるように仕組まれています。こうした小説を書くことで、思想や立場を異にするさまざまな読者を引きつけてきたのが、春樹のつよみでした。

けれども、国際的に有名な作家となった現在、政治や社会にかかわる意見をあいまいなままにはしておけません。有名作家に「良心的知識人の代表」としての役割を期待する風潮が、欧米にはまだのこっているからです。そうなると、これまで小説において使ってきた戦略はつかえなくなります。

国際的な作家として活躍のステージをもう一段あげるため、春樹は正念場に差しかかっているといえます。