処女のまま一生を終えた朝顔の斎院
一方の朝顔はやはり源氏がまだ空蟬などを知るまえから想いを寄せていた女性である。
しかし女は彼に許さなかった。父親は2人の仲を認めようとしていたにもかかわらずである。
そのうちに、女は斎院になる。厳重に処女を守らなければならない身分である。にもかかわらず、相変らず源氏は彼女にいい寄っているという噂が流れる。この噂も源氏の須磨流遇の理由のひとつとなった。
やがて女はまた世俗の人に戻る。源氏の恋心は燃え上るばかりである。ついには彼は最も愛していた正室紫の上をさえ避けて、宮中でばかり暮し、もっぱら朝顔を口説きつづけることが、唯一の仕事のようになってしまう。
源氏の従者たちまで、主人の好色を苦々しく思うまでの乱れぶりであった。
あまりはしたない露骨な嫉妬を示さない紫の上さえ、怨み言をいいはじめる。しかも女は源氏になびかない。
朝顔は意志の強固な、そして、珍しく物事を冷静に眺めることを知っている女性であった。恋に身を任せ、情の命ずるままに行動するのが普通であったこの時代に、源氏の恋心の真剣であることを知りながら、また源氏の男性的魅力には惹かれながら、しかも、父も願い、父の亡きあとは彼女の周囲の人々に強く受け入れるようにすすめられながらも、最後まで源氏を拒否しつづけた。そうして処女のまま一生を送った。
「源氏が愛する多数の女の一人」になりたくなかった
どうしてだったのだろう。――彼女は源氏の魅力に抗いがたく惹かれていた。しかし同じ魅力が当然、他の女性をも陥落させてしまうことも判っていた。
現に彼女の眼のまえで次つぎと源氏を巡る女たちの悲劇が展開していた。彼女はあの葵の上と六条御息所との車争いの事件の目撃者でもあった。
彼女はそうした女たちのひとりになりたくなかったのである。
それでいて、稀に面会することがあると、誇り高い源氏が我を忘れてしまうようなことになるのは、彼女自身が余程、魅力のあった女性だということになる。
源氏は誇りを傷つけられたから意地になって征服しようとした、というのではない。抗いがたい吸引力によって惹きつけられ続け、やはり朧月夜の場合と同じように、実にこの情熱は30年間、長持ちした。
それはやはり、朧月夜の場合と正反対でありながら、理性を超越した愛欲の力のものすごさを物語っている、というべきだろう。
そうして、源氏は一生の間、ついに我がものとすることのできなかった朝顔のことを思うたびに、甘美な苦しみが胸を満たすのを感じたことだろう。