「抱かれるまで眠りこけている女」を愚かだと描いた

源氏は雨夜の品定めの翌日、方違に行って老いたる地方官の若妻、空蟬を知り、彼女に夢中になったのだったが、一度、無理じいされたあとの空蟬は、源氏のいうなりにならない。

そのために源氏はいよいよ強くこの中流の女に惹かれていって、ある晩、とうとう彼女の寝室に忍びこんでしまう。そして、そこに寝ている女と関係するのだが、途中でそれが目ざす女でなく、宵のうちに彼女と碁を打っている姿を隙見した、空蟬の継娘であることに気付いた。

その娘、軒端のきばおぎは、快活で軽薄で、華やかな女だった。肉感的な、今日でいえばグラマーであった。それは継母空蟬のつつましやかで知的なのとは、正反対で、男の軽い浮気心をそそる。

だから源氏は相手を間違えたと気が付いた途端に、自分の気持を浮気心にとり換えて、彼女と関係を結んでしまう。

作者はこの女を、男が忍んで来て抱かれるまで眠りこけているような愚かな女として描き、そうしてその後は源氏に極めて冷淡にこの女を扱わせている。

女が愚かなのだから、仕方がないだろう、と作者はいおうとしているように見える。

彼女はその後、別の男と結婚したのだが、源氏はその婿が相手の処女でないことに気付いても、最初の男が源氏であると判れば諦めるだろうと、いい気なことを考えている。この場合の源氏は甚だ厭味な男だが、作者としては主人公の厭らしさに気付いていないくらい、軒端の荻をばかにしているようである。

魅力の少ない女は、つつましく身を退いている方が賢明で、軒端の荻のように有頂天になるのはみっともない、というのが紫式部の考え方らしい。

特別な美貌を持ち合わせなかった花散里の生き方

軒端の荻と対照的なのは、花散里はなちるさとである。

彼女の姉は、源氏の父桐壺帝の女御のひとりだったが、子供もなく後見者もないので、父帝の崩御のあとでは、源氏が世話をしていた。妹の花散里とは源氏は、姉の女御が後宮で暮していた時に、情人の関係になっていた。

しかし彼女は特別な美貌でもなく、才気もなかったから、源氏は特に彼女を深く愛していたわけではない。が、花散里は軒端の荻のように、はしたない女ではないから、世にもすぐれた恋人に対して、自分の分を守ろうとした。

その出過ぎない態度が、源氏には快く、時おり、姉の女御を見舞うついでに、同居している妹の方をも訪問するようにして、関係が続いていた。

そうして、やがて彼女は源氏の本邸二条院に引きとられ、「夏の御殿」が与えられた。(「春の御殿」が紫の上、「冬の御殿」が明石の上であるから、ずいぶん、彼女は優遇されているわけである)

彼女はそうして正式に源氏の妻のひとりとなったわけであるが、そうなるとなおさら彼女は控えめになり、源氏一家という大家族のなかで、専ら家政婦のような役割に自分を限定した。彼女は源氏と、肉体的な関係は断ち、そうして源氏の子供の夕霧を育てたり、さらには夕霧の成人後は、今度は彼の娘を養女にして世話をしたりした。一家の衣類の面倒をみたりするのも、彼女の仕事だった。

こうしたつつましさによって、彼女は源氏にとって、不可欠な女性となることに成功した。

作者もそうした彼女の生き方に、明らかに好意を見せている。

しかし、現代の女性たちにとっては、軒端の荻の、自分の感情を率直に表現したり、嬉しい時には浮きうきしたりするのは、かえって好ましいかもしれず、花散里の生き方は、もどかしくも、時には狡くも感じられるかもしれない。