ゆるキャラのモデル・井真成は大人物だったか

――墓誌といえば、2004年に「井真成せいしんせい」という名前の、唐に渡っていた日本人とみられる墓誌が中国国内で発見され、大きな話題になりました。なぜか彼のゆかりの地とされた大阪府藤井寺市では「まなりくん」という“ゆるキャラ”まで作られ、現在も活動中です。史実の井真成はどのような人物だったのでしょうか。

ただの留学者だったと思われます。当時の遣唐使は、遣唐大使や副使らの外交官たちのほかに、多くの留学者が含まれていた。こうした留学者には比較的短期間で日本に帰国する人と、次の遣唐使がやってくる20年後まで唐に滞在し続けなくてはならない人がいました。

唐に向けて航行する遣唐使船(写真=PHGCOM/貨幣博物館蔵/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)
唐に向けて航行する遣唐使船(写真=PHGCOM/貨幣博物館蔵/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

井真成はおそらく、この20年滞在組です。ちょうど、次の遣唐使がやってきて交代だ、大願成就だというときに、亡くなってしまったらしい。しかも、阿倍仲麻呂のように唐王朝の官職が与えられることもなく、無位無官で死んでしまった。そこで唐王朝が哀れんで、死後に官職を与えて墓誌を作った……と、考えることができます。

――井真成の墓誌には「天才的な才能を持っていたが亡くなった」といった記述も見られます。かなり期待を集めていた有能な人物だったということですか。

そこは難しいところです。彼の墓誌はおそらく、当時の日本側の関係者がお金を払って作ってもらったもの。一般には、墓誌の文面にはフォーマットがあって、文章は最初からほぼ出来上がっている。そこに死者の名前、生まれた場所や亡くなった場所、亡くなった年を入れて完成する。なので、墓誌の表現から井真成の人となりを判断するのは難しいところもあります。日本側では注目されている人物なので、実情を話すと夢を壊してしまいそうですが……。

阿倍仲麻呂は「科挙に合格した天才」だったのか

――もうひとりの有名な遣唐使としては、阿倍仲麻呂はいかがでしょうか。科挙に合格したとされ、唐王朝のなかで高官になっています。

阿倍仲麻呂の科挙合格は疑問が大きいところです。唐に渡る前、日本でそこまで高度な儒学の勉強ができる環境があったのか。渡唐後に比較的短期間で儒教の経典をすべてそらんじられるようになり、中国本土の人間と同じ試験を受けて合格できるものか。首をかしげるところはあります。

ちなみに、朝鮮半島の新羅の人たちも科挙に参加しているのですが、唐の後半まで合格者は出ていない。日本と比べると新羅のほうが、大陸とは陸続きであり儒教の経典も取り込みやすかったはずですが、その新羅人ですら科挙は高い壁だったのですね。

――とすると、阿倍仲麻呂は中国人向けの科挙にあっさりパスできるほどの大天才だったか、もしくは。