遣唐使を通じて、日本にも多大な影響を与えた中国の王朝・唐(618~907年)。その実態は最新の研究によって、次々と更新されつつある。どんなことがわかってきたのか。新著『唐 東ユーラシアの大帝国』(中公新書)を書いた関西大学文学部の森部豊教授に、中国ルポライターの安田峰俊さんが聞いた――。
多民族によって作り上げられていった中国の歴史
――現代の日本人や中国人は、唐について「中国そのもの」というイメージを持つ人も多いはずです。しかし、皇族の李氏は遊牧民の鮮卑系のルーツを持ち、王朝の歴史の節目節目には、ソグドや突厥、ウイグル・チベットなどの非漢民族との関わり合いが顔を出します。本書の大きなテーマも、唐王朝と異民族との接触を描く部分に置かれていると感じました。
そうですね。三国志の次の時代、つまり魏晋南北朝時代から隋唐を通じた中国の歴史は、ずっと遊牧民が活躍する時代だったのです。その最終的な到達点が、モンゴル帝国ですね。本書についても、唐の時代についても、草原の世界と農耕の世界が接触して衝突し合いながら新しい世界を作り出していった時代だったという意識で書いています。
――近年の中国共産党のスローガンは「中華民族の偉大なる復興」ですが、ここでいう中華民族は、実質的には「漢族」(および漢族化した少数民族)とほぼイコールです。しかし、実際の中国史は多民族の関わり合いの歴史でした。こうした歴史を語ることは、現在の中国当局の主張を揺るがす“毒”を持つともいえます。現代中国の歴史研究者たちは、過去の王朝と各民族の関係についてどう扱っていますか?
比較的古い時代についての、史料に基づく実証的な研究は中国でもおこなわれています。改革開放政策以降、中国では往年の墓誌(被葬者の事績を記した石碑)が多く発見されている。なかにはソグド人や、高句麗・百済・新羅の出身者で唐王朝に仕えた人たちの墓誌もあり、これらの研究はなされていますね。ただ、近い時代の話になるほど「敏感」な話題も増えますから、語りにくくなる傾向はあるのかもしれません。