抑止力を伴ってこそ「平和」は維持される
ここでいうウクライナの実力とは、国民の士気や外交力などのさまざまな要素を含む総合的なものであるだろう。しかしその中核が軍事力であることは、言うまでもない。したがって今、ロシアに対して、ウクライナ軍の軍事力を見せつけておくことが、どうしても必要だ。今、ウクライナ軍がロシア軍に対して行っている軍事行動は、直近の領土の回復をめざす行動であるだけでなく、将来の抑止力発揮のための行動でもある、ということができる。
さらに言えば、ウクライナ軍が、孤立無援なまま十分な実力を見せつけることは、実際問題として難しい。そこで広範かつ国際的なウクライナ支援の体制をロシアに見せつけることが、直近の領土回復のみならず、将来の抑止力発揮のために、どうしても必要になる。
戦後には、ウクライナのNATO(北大西洋条約機構)加入も大きな政策課題となっていくだろう。とはいえ、即座の加入は現実問題として難しい。そこで昨年9月にウクライナとNATOが共同で提案した「キーウ安全保障協約」で語られているような、新しい国際的な「安全の保証」の体制が必要になる。すべては戦後の抑止力の確立のためであり、つまりはウクライナの「長期的な平和」のためである。
停戦がいつ、どのような形で成立するかは、軍事情勢の推移に大きく左右される。予言めいたことを言うのは難しい。しかしそれでもはっきり言えるのは、抑止力なき停戦は「長期的な平和」ではない、ということだ。ウクライナおよびG7は、同盟国・友好国とともに、抑止力を伴った「長期的な平和」が見込める形での、戦争の終結を求めている。
相手を悪魔化してばかりの議論は危険
ロシア・ウクライナ戦争をめぐっては、苛烈な言葉を伴った非難の応酬が、世界中で行われている。日本国内も例外ではなく、さまざまな立ち位置からG7の方針を糾弾する人々の口調は、どんどん激しさを増している。
さまざまな見方・意見があることを前提にして、議論を進めること自体は、自然であるし、必要なことでもある。しかしイデオロギー的立場に拘泥し、相手を悪魔化して打ち負かそうとすることだけに労力を注ぐのは、あまりに非生産的であり、危険なことである。
G7の立場をどうしても支持できないという方もいるだろう。だが少なくとも自由民主主義社会の活力を信ずるのであれば、われわれは論理的に思考し、批判の理由を明晰に説明するといった、開かれた議論のための努力を前提にし続けなければならない。