「正論だけを吐いていても真の調整にはつながらない」
矢野次官の必死の絶叫に、かなり冷ややかな反応ではないかと感じたが、そう考える根拠のような話が彼らの会話に続いた。三人がいみじくも官僚が政治に対する「補助者」の立場であることを前提とした上で、表現の仕方は違っても、次のような見方でほぼ意見が一致した。
「現実に政治が動く中で、役人はあくまで補助者であって決定権を握っているわけではない。ただ、政治が常に正しい選択をするかといえば決してそうではなく、役人が立場をわきまえながらも諦めずに働きかけを続けてきたのが実態だ。そのたびに何度も何度も手を替え品を替え説得してきた歴史でもあるが、あの論文はそうした我々の調整の能力を使いにくくするのは明らか。もう一歩踏み込んで言うなら、政治との丁々発止のやり取りの中にあって、ギリギリの段階での役人の調整力というか、政治に対する調整能力を放棄することにもなりかねない。ハイハイと御用聞きになってはいけないが、正論だけを吐いていても真の調整にはつながらないと思う」
奥の深い官僚の「調整能力」
ここで使われた「調整能力」という言葉には、政と官の関係に根差した深い意味合いが込められている。両者は政策の立案・決定に向けて同じ土俵に立ちながらも、官僚があくまで補助者であることを前提に考えると、いざ決定という場面で政治に従わざるをえない現実に追い込まれる。
実際、衆院選後に編成された補正予算案は、過去最大の総額35兆9895億円に膨らんだ。財源には新たに22兆580億円の新規国債発行、2021年度末の国債残高はついに1000兆円の大台を突破した。コロナ禍への対応でそれまでにも予算の積み増しが常態化していたが、18歳以下の子供への10万円相当の給付をはじめ、バラマキ合戦が行き着くところまで行き着いた補正予算と言っても過言ではなかった。
だとすれば、矢野論文は補正予算にどのような影響を与えたのだろう。
論文発表から2カ月も経たない間の予算編成に、いかなる影響を及ぼしたかを推測するのは無謀のそしりを免れないが、次官経験者が指摘する「調整能力を使いにくくした」ことは確かなようだ。結果として、経済対策の規模を抑えたいと考える財務次官の訴えは、高市政調会長を中心とする与党政策責任者の反発を招き、かえって予算規模を膨張させる反作用を生んだと見る向きが多かった。補正予算案を審議する臨時国会の所信表明演説で、岸田首相がバラマキ批判への反論とも受け取れる答弁にかなりの時間を費やしたのも、後ろめたさの表れと言ったら言いすぎだろうか。