「万世一系」の皇室は突出した存在

歴史の長さでは日本の皇室がずばぬけている。紀元前660年2月11日に奈良県橿原市で日本建国があったというのは、少し割り引く必要がある。日向出身の神武天皇が建国したクニの領域は奈良盆地南西部だけで、大和統一は崇神天皇、日本統一は仲哀天皇の時と記紀にも書いてある。

天皇系図(出典=宮内庁ホームページ)
天皇系図(出典=宮内庁ホームページ

九州の王者が大和を征服したという神武東征のイメージは鎌倉時代以降のもので、古代人の歴史認識ではない。また、初期の天皇の寿命が長すぎるので、調整すれば、崇神天皇は三世紀で、神武天皇は紀元前後ということになる。

ただ、畿内発祥の王朝が四世紀に日本を統一して以来、万世一系で継続しているという大筋を否定すべき明白な理由はないし、一部の人が邪推するように西暦600年頃に王朝交替があったとしても千数百年の歴史だ。

しかも、男系男子継承という厳しい条件をクリアしているから、突出した存在だ。もし、フランスで十世紀から始まった王制が存続していたら、男系男子に加えて嫡出で維持されているから、世界のロイヤルファミリーのなかでライバルになったかもしれない。しかし、1789年のフランス革命で王政は廃止されたため、やはり日本の皇室、そして天皇陛下は現在の君主の中では別格だ。

英国王室の歴史は1066年にさかのぼる

イングランド王国は、829年にアングロサクソン七王国が統一されたのに始まり、1066年にフランスのノルマンディー公(ウィリアム1世)によって征服され、その子孫が現在の英王家だ。

ウェストミンスター寺院を創建したのは、その2代前のエドワード懺悔王だ。ノルマン人の王も、イングランド王としての正統性の根拠としてアングロサクソン王朝との連続性を大事にしており、寺院の中央にあるエドワード懺悔王の霊廟れいびょうを中心とした区域で、塗油と戴冠からなる儀式を行うのは、『日本書紀』や『古事記』における出雲族からの国譲りの扱いと似ている。

戴冠式で使われる王冠は聖エドワード王冠だが、女王がバルコニーに立ったり、国会で演説するときに使うのは、世界最大級のダイヤモンドをあしらった「大英帝国王冠」で、二つの王冠はロンドン塔で所蔵している。

ロンドン塔は、ウィリアム1世が王宮として建設し、これとウェストミンスター寺院とがそろったことで、ロンドンがイングランドの首都として認知されることになった。

その後は、女系相続が可能なノルマンディー公家の慣習に従って継承されており、王朝の名前は変わっても、一貫性が失われたことはない。