女系でつないできたイギリス王朝史

ノルマン家を嗣いだのは、プランタジネット家である。ヘンリー1世の外孫であるフランス貴族のアンジュー公(ヘンリー2世)が初代で、十字軍で活躍したりフランス王位を狙って英仏百年戦争を戦ったり、紅白のバラを紋章とする二つの分家が争う薔薇戦争もあった。騎士道の時代だった。

テューダー家は、ウェールズ貴族ながら女系でプランタジネット家を継承するヘンリー7世が初代。海洋が好きで商業を重んじるウェールズの気風をイングランドにもたらした。

しかし、エリザベス女王が未婚だったので、ヘンリー7世の女系の子孫であるスコットランドのステュアート王家ジェームス1世(メアリー女王の子)がイングランド王を兼ねることになった(アン女王の時に連合王国になった)。清教徒革命や名誉革命ののち、ジェームス1世の女系の曾孫であるドイツのハノーバー公が王位を継承した。このジョージ1世が英語を話せなかったことから、「君臨すれども統治せず」の原則ができた。

ビクトリア女王のあと、夫の実家サックス・コバーク・ゴータ家を名乗ったが、第1次世界大戦でドイツが敵となったのでウィンザー家に改称した。エリザベス女王のあとフィリップ殿下のマウントバッテン家(デンマーク王家分家のギリシャ王家出身だが英国に帰化するときに名乗る)になるはずだったが、王朝名としてはウィンザー家、王族を離れたらマウントバッテン・ウィンザーという複雑なことになった。

世界中から尊敬を集める皇室の「謙虚さ」

英国王室より長く続いているのは、8世紀のヘルムード1世の血を引くスペイン王家(父祖はフランスのブルボン家になっている)と、10世紀のゴーム王の子孫であるデンマーク王家(グリュックスブルク家)だが、中断などが複雑なので、英国王室が実質的には欧州一の名門であることに異議あるまい。

歴史以外にもう一点、日本の皇室が尊敬されているのは、ストイックさだ。贅沢せず、勤勉で、平和を愛好し、文化や科学を重んじ、よい家庭人というイメージは、平成の両陛下において頂点に達したし、謙虚さもそれに加わった。

もちろん、平成皇室のスタイルは選択肢の一つに過ぎない。英王族は戦前の日本と同じように軍人として戦場に向かうし、女王だって軍服に身を固めて兵士たちを鼓舞した。

海外の王室との交流で、日本の皇室は、謙虚にして好感度を上げているが、エリザベス女王は、毅然きぜんと国家としての誇りを背負って格上であることを見せつけ、侮辱されたとみるや、冷遇したり無礼さをリークしたりして成功を収めた。