前田コーチと二人三脚で歩んできた。「2人は似たもの同士」と互いに言う。

公介を小学3年生から見守り続ける、みゆきがはらスイミングスクールの前田覚コーチは言う。

「こいつは間違いなくオリンピックに行ける。そう僕は信じていました。それが現実味をおびてきたのが、高校生になった頃ですね。ある時期だけ天才って呼ばれる子はたくさんいますが、公介は小学校、中学校、高校と、どの年代でも記録を出し続けてきました。こんな子はほかにいない。天才ですよ、あいつは」

高校2年生になった2011年。翌年にひかえるロンドン五輪への切符を手に入れるため、公介にとって最も大切なシーズンの幕が開いた。

ところが、世界選手権代表をかけた大会の前日、公介は突然の体調不良に見舞われてしまう。とりあえず会場には足を運んだものの、レースの前夜に脱水症状を起こし、救急車で運ばれてしまった。もちろんレースには出場できなかった。

その日から公介はスランプに突入した。記録は伸びず、ライバルに負け続ける日々が続く。「今日のレースも、いい記録を出せないんじゃないか」。そうしたネガティブな気持ちを抱えたまま大会に参加するほど、メンタルは不安定だった。

そんな公介が、貴子には歯がゆかった。

「小さな頃から公介はハードルを高く設定してやると、それを器用に越えてきました。だから叱咤すれば、なにくそってがんばるタイプだと、私は思っていたんですね。たとえば95点のテストを持ち帰ってきた日も、なんであと5点が届かなかったの、次は取りこぼしちゃだめよって公介に言い続けてきたんです」