まず問いたいのは、好きなものに出合う努力をしているのかということ。
特別な才能がある人ならともかく、好きなことを見つけるのは簡単なことではない。努力もせずに「見つからない」というのはお門違いである。
仮に好きなことに出合えたとして、それを将来に生かせるかどうかはまた別の話だ。たとえば、文章を書くのが好きだから小説家になりたいと思っても、作品が評価されなければどこかで見切りをつけるしかない。
就職も同様である。就職難の時代、選べる立場にある人はごくひと握り。自分が選ぶよりもまず、他人に選ばれることが先決だ。自分がどんなに興味を持っていても、先方の企業にそっぽを向かれたらおしまいなのである。
とすれば、好きか嫌いかは後回しにして、とにかく与えられたことをやっていくしかないだろう。
かつて私は、子供2人にこう言ったことがある。
「あなたたちに特別な才能があるなら応援する。でも、絵も描けないし、歌がうまいわけでもない。だったら、普通に勉強して、普通に就職するという道を選ぶしかないでしょ」
娘や息子のように「最大公約数的」な人間は、最大公約数の人生を引き受けるしかない。もし、わが子が好きなことしかやりたくないと言って仕事に就かなかったりしたら、「甘ったれるな」と叩き出しているだろう。
「3年間、惚れた腫れたはなし。弟子入りした気持ちでとにかく勉強しなさい」。大学を出た娘が、テレビ局に就職したときにはそう言い渡した。石の上にも3年というが、まさにそのぐらい腰を据えて向き合ってみなければ、仕事の適性は判断できない。結果、どうしても向かなければ、仕切り直しするチャンスはいくらでもあるはずだ。
これが小さいうちなら、習い事をさせて可能性を広げてあげることもできるだろう。私も娘にピアノを習わせたり、児童劇団に入れたりしていた。ピアノを弾くことで音符が読めるようになり、劇団に入ったことで滑舌はよくなったものの、プロになるような才能がないことはすぐにわかった。