2006年の夏、雑誌プレジデントFamilyの連載「未来の泰斗」記念すべき第1回に登場したのは、当時小学6年生だった萩野公介だ。プールサイドに立つやせっぽちの公介をとらえた写真がメーンカットに選ばれ、そこにはこのようにタイトルが付けられた。

「金メダルに一番近い小学生」――。

年月を重ね、公介はいま、夢の入り口に立っている。ロンドン五輪への出場権をその手につかんだのだ。

公介の両親である洋一と貴子が、栃木県小山市の自宅で懐かしそうにページをめくった。今年、銀婚式を迎えるこの夫婦が公介を授かったのは、結婚8年目のこと。言葉の発達が遅い子で、3歳まではほとんどしゃべらなかった。

「一人っ子だったし、心配しましたね。家庭に問題があるんじゃないかと、保健所の方が調査にやってくるほどだったんですよ」

貴子はそう振り返るが、洋一は違う。

「たしかに言葉は遅かったけれど、表情は豊かでした。ほかの面では心配するようなことは何もなかったので、それほど気にしていませんでしたね」

取材に飽きて機嫌が悪くなっていた表情。「いま思うと、ちょうどこの頃が反抗期だったかも。毎日、よくぶつかっていましたね」と貴子さん。

ピアノに英会話、そして水泳と、両親はいろいろな習い事に公介を通わせた。なかでも公介が夢中になったのは水泳だ。幼稚園の頃から選手育成コースに入り、小学2年生のときにジュニアオリンピックで優勝するほどの逸材だった。

洋一の仕事の都合で、一時期の萩野家は名古屋で暮らしていたが、公介が小学3年生のときに小山へ戻ってくることになった。「天才小学生スイマー」を受け入れることになったのは、公介自身が選んだという宇都宮市の「みゆきがはらスイミングスクール」。自宅から、車で1時間もかかる場所にあった。

送迎の役を担ったのは貴子だ。授業を終えた公介を1時間かけてプールに送り届け、2時間の練習を見学して待ち、また1時間かけて自宅へ帰る。休みは週に1日だけ。貴子と公介のそんな生活は、小中学校を通して、そして高校3年生になった現在も続いている。

「毎日4時間の拘束って大変でしょうってよく聞かれますが、うちはラッキーなことに、公介だけに手を掛けられる家庭環境だったんです。祖父母や小さな弟妹のいない、3人だけの家族なので」

貴子に続けて、洋一も言う。

「とにかく、公介が好きなことを好きなようにやらせようと。そのために親は、全力でサポートしてやればいい。そこは夫婦で一致していました」