大学生時代、サラリーマンは視界になし
未来コンビニにしても本社オフィスにしても常識破りであり、起業家・藤田の個性を如実に示している。
実際、彼は大学生時代から発想と行動の両面で常識破りだった。サラリーマンになるキャリアパスをつゆほども考えなかったのだ。名城大学3年生時にアメリカ留学を決断し、留学資金捻出のために携帯電話の販売事業を始めている。学生起業家になったわけだ。
当時を振り返り、「サラリーマンとは何なのか理解できなかったから、サラリーマンになろうとは全く思わなかった」と語る。「周囲からは『どうして?』と聞かれたけれども、面倒だから説明もしませんでしたね」
1年半で800万円をためる計画を立てた。留学1年間で400万円かかるから、2年間の留学で800万円は必要と判断した。ところが、ふたを開けてみると、学生の身分でありながら4000万円も稼いでいた。
そこでふと思った。アメリカに行って成長したいと思っていたけれども、アメリカで一体何をしようというのか? それよりもこのまま事業を続ければ、もっと成長できるのではないか?
結局、卒業直後の1996年4月、名古屋で有限会社フジテクノを設立した。同社は後のメディアドゥとなるベンチャーだ。
上場を目標に電子書籍市場でシェア拡大
藤田の人生に決定的な影響を与えた出来事が二つある。一つは起業であり、もう一つは父親の死である。偶然にも同じ年に。「これで自分の人生は全部決まった」という。
父親の死後、若き起業家は会社をたたんで木頭に戻り、母親のそばにいてあげようと考えた。ところが、母親から「あなたみたいに力のない人間が戻って来て、一体何ができるというの!」と叱られた。
力のある人間になるにはどうしたらいいのか。経営者としての器を高めて会社を成長させ、最終的に世の中に貢献できるようになればいいのでは、と藤田は思った。
3年後、具体的な目標をつかんだ。知り合いの公認会計士から「上場を目指したらどうか」と言われ、ピンときたのだ。上場すれば企業は「社会の公器」になるから、天国にいる父親から「お前はがんばったな」と言ってもらえるかもしれない!
メディアドゥが飛躍する原動力になったのは2006年の電子書籍市場への参入だ。当時は米アマゾン・ドット・コムが電気書籍リーダー「キンドル」を発売する1年前。電子書籍市場は黎明期にあり、新規参入者が大きな先行者メリットを享受できる環境にあった。
成否を決めるのはイノベーションだ。メディアドゥの場合、それは多数の出版社と電子書店をつなぐ自社開発システムであり、電子書籍流通プラットフォーマーとしての地位確立だった。その後、同社は急ピッチで市場シェアを拡大し、最終的には電子書籍流通業界の国内最大手に躍り出た。