邸宅跡地にはシティホテルが建つ
2人目は、第35代総理大臣を務めた平沼騏一郎である。
昭和20(1945)年8月15日早朝には、徹底抗戦を唱える佐々木武雄大尉率いる国民神風隊により、歌舞伎町にあった平沼邸が放火された。平沼は戦後、A級戦犯として終身禁錮の判決を受けたが、昭和27(1952)年、病気で仮釈放となり没している。
平沼が笑うとニュースになるといわれ、検事のバッジである秋霜烈日を絵にかいたような人物だった。平沼の自宅は淀橋区西大久保一丁目429の1(現・歌舞伎町二丁目)で、当時の地図にも平沼邸と表示され、現在は新宿グランベルホテルというシティホテルがある。
戦前の西大久保に生まれ育った作家の加賀乙彦は、著書『永遠の都』(新潮社)で平沼邸について、異様に高い黒塗りの板塀で人を寄せ付けず、巨大な猛犬で護られていたということを書いている。
3人目は、第36代総理大臣を務めた阿部信行である。
阿部の自宅は淀橋区西大久保一丁目361となっていて、明治通りの北側で現在は新宿六丁目となった、日清食品東京本社のあたりだと推測される。
このように、戦前の歌舞伎町は、今では想像もつかないが、女学生が集い、歴代の総理大臣などが暮らした瀟洒なまちだった。そこには86歳で亡くなるまで実業家として活躍した、大正時代を代表する女性・峯島喜代の存在も忘れてはならない。