大阪城内に300人以上の娘を囲う
女性と言えば秀吉はたいへんな女好きであった。しかもその性欲は老人となってからも、衰えを見せなかったようだ。ルイス・フロイスは次のように記している。
「齢すでに50を過ぎていながら、肉欲と不品行においてきわめて放縦に振舞い、野望と肉欲が、彼から正常な判断力を奪い取ったかに思われた。この極悪の欲情は、彼においては止まるところを知らず、その全身を支配していた。彼は政庁内に大身たちの若い娘を300名も留めているのみならず、訪れて行く種々の城に、また多数の娘たちを置いていた」(『日本史』)
また同書には、秀吉が諸国を訪問する目的の1つは、美しい「乙女」を探すことだったと書いてある。
秀吉は天下人であり、その権力は絶対であったので、その意向に背く者などおらず「国主や君侯、貴族、平民たちの娘たちをば、なんら恥じることも恐れることもなく、またその親たちが流す多くの涙を完全に無視した上で(娘たちを)収奪した」という。
この話がどこまでが本当か分からない面もあるが、人間を軽く見ていたのは確かだろう。
秀吉は、天下を獲る前も、獲ってからも、残忍で陰険な手段により、人々を殺してきた。目的のためには人の命を何とも思わないその所業は、とてもドラマで描けるものではないであろう。