責任感や義務感を押しつける人とは距離を置く

それに地域の活動やボランティアをやめたところで、周りはそれほど気にしないもの。「つまらないな」と思っていたわけですから、周りもそれとなく気がついているものです。

「和田さん、最近姿が見えないね」と地域活動やボランティアの仲間が言ったとしても、「まあ、そんな予感はしてましたよ」「まあ、当てにしないで待ってましょう」くらいで終わってしまいます。

もちろん、どの世界にも、「かくあるべし思考」でしか考えられない人がいるものです。そして相も変わらず、昔ながらの責任感だの義務感だのを、人に押しつけてきたりします。

70代になったら、そういう人とは距離を置くことです。

放っておけばいいのです。

70代は、そういう気ままさが許される世代なのです。

それに「何ごとも遊び半分」とばかりに、最初から何ごとにも深入りしないと決めておけば、それが自然と自分のキャラクターになってきます。

周りの反応など、気にすることもなくなります。

コーヒーを持ってポーズをとっている陽気な大男
写真=iStock.com/VladOrlov
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「胸を張って、無責任に生きる」は、70代の特権

齢をとると、何を始めるにしても、おっくうに感じるもの。

それには理由があります。

65歳を過ぎても、60歳までの価値観、人生観を引きずっている人が多いので、何かを始めるとき、どうしても不安や懸念を感じてしまうのです。

「始めても、だんだん辛くなるかもしれない」「ひょっとしたら、自分に向いてないかもしれない」などなど、ついつい不安を感じてしまうわけです。

さらには「長続きしなかったら、みっともない」「やるからには、中途半端なことはできない」と、見栄から生まれる懸念もあります。

このような価値観、人生観は、長い会社勤めや、組織の人間関係の中で身についたもの。それをそのまま、65歳からの人生に当てはめても、意味がありません。

どんな世界でも、いざ飛び込んでみると「勝手が違う」「通用しない」「体がついていけない」といったことはいくらでも起こり得ます。

前項でお話ししたように、「何ごとも遊び半分」という気持ちで始めれば、気分もラクなもの。「勝手が違う」「通用しない」「体がついていけない」と思ったら、のんびりマイペースに持ち込んでしまえばいいだけの話。

65歳を過ぎたら、ラクなことだけやる。

誰からも文句は言われないはずです。

また、ラクだと思っていても、「やっぱり、自分に向いてない」ということもあるでしょう。それなら、「やーめた!」と放り出せばいいのです。

65歳からは、万事がこんな調子のほうが、うまくいくと考えてください。

団塊の世代なら、クレージーキャッツの植木等さん主演の映画『無責任』シリーズを覚えていると思います。その映画の中で「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」というとても痛快なセリフがありました。

70歳からは、まさに「無責任一代男」「無責任一代女」でいいのです。

「やっぱり、自分に向いてない」と思ったら、「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」とばかりに放り出す。70代になったらもう、胸を張って、無責任のまま生きていいと思います。

70代は、何十年もの間、ひたすら責任だけを果たしてきた世代なのですから。