誤解されまくった「レコーディング・ダイエット」

因果論理を強く太くするために必須となるのが具体的な物事の背後にある本質を抽象化してつかむという思考である。飛び道具が出てこない代わりに、本書では要所要所で抽象化された説明が頻繁に出てくる。たとえば、「食欲には、頭と身体の二通りがある」という二分法。「美味しそうだから食べたくなる」という"欲望"が頭の食欲で、「身体が必要としているから食べたくなる」という"欲求"のが身体の食欲、という区別である。

岡田氏によれば、レコーディング・ダイエットの折り返し地点(再加速期)においては、「欲望型人間として生きていた自分を、欲求型人間に近づけること」がカギとなる。具体的な話をする前に、まずはそれが立脚している論理を抽象レベルではっきりさせる。その上で、欲望を欲求に変えるためには、寒い、暖かい、気持ちいい、といった身体の欲する欲求のサインをよく聞きなさい、そのためにはこうしたらよい…、という具体に立ち戻る。岡田氏の戦略ストーリーはこうした抽象と具体の往復運動の産物である。

企業経営や競争戦略に対するインプリケーションという意味で、僕にとって最も興味深かったのは、岡田氏がこの本を書いた動機である。ご存知のように、この本に先行して出版された『いつまでもデブと思うなよ』は、ダイエット業界最大のベストセラーとなった。テレビや雑誌でもバンバンとりあげられた。

ところが、ベストセラーとなったことの弊害もあったという。本来は時間展開に依拠しているはずの戦略ストーリーがバラバラにされ、断片的に紹介されてしまった。ストーリーの文脈から引き剥がされて、「レコーディング・ダイエット」という言葉が一人歩きしはじめたのである。

「要するに1日1500キロカロリーってことか」といきなりカロリー制限を始める人。「食べたものを書くだけでやせる」と信じて何日分かまとめて書く人。「食べたものを忘れないようにすればいいのか」と食事を写メで撮る人。ひたすら運動に力を入れる人。「カロリーが高いものはダメだから」と好きなものをガマンする人。その挙句に挫折する人。こうしたことは本来のレコーディング・ダイエットとはまったく無関係どころか、かえってやってはいけないことばかりである。これは岡田氏にとって由々しき事態であった。勝手に誤解して、勝手に挫折して、「やっぱレコーディング・ダイエット、ダメじゃん」となる。この言葉を商標登録までしている岡田氏は、正しい理解を普及させることが使命と考え、本書『レコーディング・ダイエット決定版』を書くに至った。

誤解をとりわけ加速したのがテレビや雑誌、ブログなどの大小さまざまなメディアであった。こうしたメディアではワンフレーズで伝わるようなごく短い話が好まれる。本来は流れをもつストーリーとして構想された戦略であっても、目につく構成要素のつまみ食いで消費されてしまう。

レコーディング・ダイエットでは「無理な運動はしないこと」とされているのだが、それはすでにみたように、下手に運動をすると食べ過ぎるからであり、短期間で相当の体重を落としているさなかに運動をすると体に負担がかかりすぎるからである。ある程度体重が落ちて自然に動きたくなる欲求が出てきたら運動すべし、という展開につながるのだが、テレビで紹介するときには「運動はしなくてもいい」の部分だけが強調されてしまう。

雑誌のダイエット特集では、「カロリーも大切だけど、栄養のバランスも大切。もちろん運動も!」といった、幕の内弁当のような話になる。これでは練りに練られたせっかくの戦略ストーリーが、凡百のダイエット法と同じ「静止画の羅列」になってしまう。

これだけのダイエット本が出され、数え切れないくらいのダイエット法が編み出されてきたにもかかわらず、やせられない人はなぜ相変わらずやせられないのか。最強のダイエット食品や究極の運動器具を手に入れられないからではない。必要な要素はすでに出揃っている。やるべきことは当たり前のことばかりでよい。それらをしっかりとした因果論理でつなげ、時間展開へと配列するストーリーがないからうまくいかないのである。ストーリーがないと、新しい飛び道具や必殺技を試しては挫折し、次に行くという愚行に終始する。

こうした成り行きは企業の戦略の失敗や挫折とまさしく相似形にある。こうすれば成功するという「ベスト・プラクティス」や最新の「経営手法」は次から次へと提案される。メディアを見れば「将来予測」や「成功事例」が満載だ。新しい経営手法にとびついて会社をぐちゃぐちゃにしてしまう経営者は、新しいダイエット法にとびついては挫折する人と同じ間違いを犯している。ダイエットをしようという人は「わかった」と早く言いすぎる、というのが岡田氏の見解である。経営や戦略もそれと同じである。戦略を一貫したストーリーとして打ち出せない経営者は、往々にして「わかった」というのが早すぎる。本当に効果のある戦略は、1分で片づくような「短い話」ではありえない。

岡田氏の本にしても、いくつかの章を拾い読みするだけでは意味はない。じっくりと全編を読み、ストーリーを丸ごと理解しないと効果は期待できない。優れた戦略は、ワンフレーズでは表現できない「長い話」なのである。

ただし、である。いうまでもなくダイエットとビジネスは異なる。一つの決定的な違いは、ダイエットではオーナーシップが初めから明確なところである。主体は自分であり、対象は自分の体。始めから終わりまで100%自分ごととして取り組める。ところが、現実の商売は組織の総力戦である。多くに人が実行に関わる。しかも、ダイエットと違って、自分自身で閉じた活動ではない。競争相手や顧客といった、直接的にはコントロールがきかない相手がある話である。

個人が明確な目的意識を持ってやるダイエットですら、当たり前のことを当たり前にできないのが人間である。だからこそレコーディング・ダイエットのような精緻な戦略ストーリーが必要になる。それでも、「ああ、メモしただけで痩せるってやつでしょ」とか「1日1500キロカロリーにおさえるんだよね」というように、せっかくのストーリーが静止画の並列になりがちなのである。これがビジネスとなると、推して知るべしである。経営者が戦略を流れのあるストーリーとして構想し、しつこく語り、組織に浸透させ、全員で共有することは、ダイエットの何倍も必要になる。

「ソーシャル!」とか「グローバル化!」とか「クラウド!」(これはもはや旬を過ぎた?)とか、ワンフレーズのかけ声を戦略と勘違いしている人が少なくない。そういう人は、まずはレコーディング・ダイエットを実行して成果を出し、順列、時間展開、因果論理という戦略ストーリーの大切さを身をもって実感してみることをお勧めする。

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