橋本政権時に日銀への監督権限は弱まった

現在の日本銀行法は、大手金融機関の相次ぐ破綻で日本が金融危機に見舞われていた当時の1998年、戦時中の1942(昭和17)年に制定された旧法を改正して制定された。その時のポイントが「日銀の独立性の担保」だった。

戦時立法として制定された旧日銀法は、政府が日銀総裁を解任する権限を持つなど国家統制色の強い内容だった。政府からの独立性の弱さゆえに、政治の介入を思わせる事態もあった。過去には「日銀総裁解任」に言及した自民党重鎮もいた。

しかし、バブル崩壊という苦い経験を経て、いわゆる「自社さ」(自民党・社民党・新党さきがけ)の橋本政権時代に法改正の動きが始まった。政府から独立した中央銀行としての日銀が、中立的・専門的な見地から金融政策を立案できるようにすることが、法改正の柱。政府が日銀総裁を解任できる規定が削除されるなど、政府による監督権限は大幅に縮小された。

政府の権限を縮小する方向での法改正が可能だったのは、当時の橋本政権が自民党単独政権ではなく、社民党とさきがけという、現在の立憲民主党の源流とも言える政党が政権与党に加わっていたことも、無関係ではなかったかもしれない。

「異次元の金融緩和」の本当の意味

しかし、デフレ不況が長期化するなか、政界では「日銀の独立性が強すぎる」との声が高まった。いったん下野していた自民党が2012年に政権に復帰する前夜から、日銀に対する政府の影響力を強める方向性での法改正が模索され始めた(自民党だけでなく、当時のみんなの党や民主党の一部にも、こうした動きがあった)。

そして自民党が政権に復帰すると、当時の安倍晋三首相が大々的に打ち出したのが、アベノミクス最大の柱と言ってもいい「異次元の金融緩和」である。「異次元」という言葉は、単に「規模の大きさ」という意味で使われたのかもしれないが、筆者には「日銀に求められている次元を超えた、本来あるべきではない」金融緩和だと聞こえた。安倍氏が首相退任後の昨年5月に「日銀は政府の子会社」と発言して物議を醸したことは、まさにそのことをよく表していたと思う。

日銀法が「政府からの独立性を高める」方向で改正されたにもかかわらず、アベノミクスで政府と日銀が一体化してしまうような施策を行うことができてしまったのは、日銀法自身にあらかじめ埋め込まれていた「弱点」のためだったと筆者は考える。

日銀法には「日銀は常に政府との連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」との条文がある。実は法改正当時から、この条文について「独立性の担保は大丈夫か」との懸念が出されていた。

その懸念が現実となったのがアベノミクスだ。