岸田政権の日銀への権力行使に注視すべき
内閣法制局の人事に手を突っ込み、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の変更に手を貸すようなまねをさせたことも、検察庁法を改正し、人事を通じて時の権力に都合の良い検察をつくろうとしたことも、みんな同じ文脈で語れるのではないか。政府機関とは異なるが「批判や異論を封じたい」という観点で言えば、現在国会で大きな問題になっている放送法改正問題も「テレビにおける政治報道の牙を抜く」という意味で、同根であるとも思う。
昭和の時代の55年体制当時でさえ少しはあった「権力行使のたしなみ」を、すべて脱ぎ捨てた強権政治。少なくとも筆者は、10年続いた「異次元の金融緩和」に、そのことを強く感じざるを得ない。
「岸田文雄首相はこうした方向から脱却しようとしている」という報道も、一部に散見される。「(量的緩和の)手段は日銀にお任せしたい」など、日銀の独立性に配慮したとみられる発言があるからだろう。だが、一方で岸田首相は「政府・日銀一体となって、物価安定下での持続的な経済成長の実現に取り組んでいきたい」とも語っている。要は前述した日銀法の条文をそのままなぞっているだけであり、現時点で方向性を明らかにしているとは言えない。
日銀総裁の交代について、経済政策の面から注目するのは当然のことだ。だが一方で「政府が権力行使のありようをどう考えているのか」を推し量るための重要な要素としてこの問題を考えることも、同時に必要なことだと思う。この場合、問われているのは新総裁ではない。岸田首相その人の政治姿勢である。