人々の恐怖心を自らの人気取りに利用した政治家たち
実際に大会が開かれるまで、東京五輪には「恐怖」「不気味」「不審」といった強い負の印象が常に付きまとっていたわけだが、それらネガティブイメージを自身の支持率上昇、「誠実に仕事に取り組んでいる」感の醸成、「頼れるリーダー像」の演出などに小賢しく利用したのが、政治家である。
一例を挙げよう。2021年5月21日、読売オンラインに「五輪『もしやったら、日本は滅亡するのでは』…市長が危機感」という記事が掲載された。
この頃は「反五輪」の風がもっとも強く吹いており、両側の顔を見ながらバランスを取るような雰囲気も弱く、片側(反五輪)の支持だけを集めることのほうが重視された。何しろ「命」を持ち出せば、なんでもかんでも中止にできた時期なのだから。
記事を一部引用しよう。
「命を守ることが一番だと思うので、オリンピックには反対」――。埼玉県坂戸市の石川清市長は20日の定例記者会見で、記者からコロナ禍での東京五輪開催の賛否を問われ、反対の考えを明らかにした。
石川市長は、新型コロナウイルスが感染拡大する現状について「感染症との戦いの中でも異常なものだと思う」との認識を述べた。
五輪については「感染者は昨年よりずっと多い。変異型も出ている。国はやる方向だと思うが、もしやったら日本は滅亡するんではないかな、と思うくらいの危機感を抱いている」と語った上で「政治家は嫌われても、決断するときはするべきだ」として、中止の考えを訴えた。
いくら行政がアナウンスしても、日本人はマスクを外さない
終わってみれば、東京五輪は「殺人五輪」になどならなかったし、多くの国民は日本のメダルラッシュに沸いたわけだが、開催前はとにかく「安全策を取るべき」に類する発言をすれば支持されるような、異常な状況だった。結果的に誤った判断、ピントのずれた指摘だったことが後日明らかになったとしても、提案をしたり、決断を下したりした人は怒られない空気感すら存在した。「あのときの判断としては妥当」となっていたのである。
そうしてマスク着用生活が2年を超え、海外のスポーツイベントなどではマスクをしている観客のほうがレア……という状況が日本にも伝わるようになってきた2022年5月20日、厚労省は世界からだいぶ遅れて「屋外では原則、マスクを着ける必要なし」という基準を公表した。もっとも、厚労省がいくらアナウンスしても、マスクへの過度な信頼(信仰⁉)が捨てられない日本人は、その後も屋外でマスクを外すことはなかったのだが。今年3月13日以降も、そうした空気は変わらなかった。
「私は花粉症がヒドいからしばらく外せない」「メイクに力を入れないで済むから便利」「ヒゲをそらないでいいからラク」「もう顔の一部になってしまったから、すぐに外そうとは思えない」など、外さない理由を個々人が言い訳がましく述べている状況だ。どうせ花粉症の時期が終わっても、「黄砂やPM2.5が来るから外せない」などと言うのだろう。