決断できない日本人は、まわりくどいガイドラインに翻弄される

厚労省が示したマスク着用のガイドラインは本当に説明がまわりくどく、両方の顔色をうかがう及び腰の姿勢に満ち満ちている。こんな基準を提示されても、決断力に乏しい日本人はマスクを外せない。余計な条件など並べ立てず、「原則、屋外ではマスク不要」「外したい人は外し、外したくない人は着けたままで構わない」「外さない人は、外した人を差別しない」の3点を述べるだけでよいのに。

せっかくなので、厚労省が示した責任回避の名文を紹介しておこう。

・屋外では、人との距離(2m以上を目安)が確保できる場合や、距離が確保できなくても、会話をほとんど行わない場合は、マスクを着用する必要はありません

・公園での散歩やランニング、サイクリングなど→マスク必要なし

・徒歩や自転車での通勤など、屋外で人とすれ違う場面→会話をする場合は着用を推奨

・屋内では、人との距離(2m以上を目安)が確保できて、かつ会話をほとんど行わない場合は、マスクを着用する必要はありません

マスクの着用に関するリーフレット(厚生労働省)より
画像=マスクの着用に関するリーフレット(厚生労働省)より

「外していい場面」をいちいち例示するとは、何とも過保護である。屋内で着用が「推奨」されるのは「会話時」となっているが、2m以上離れた会話の場合は、推奨はされつつも「十分な換気など感染防止対策を講じている場合は外すことも可」だという。また、「会話をほとんど行わない場面」としては、図書館での読書や芸術鑑賞が挙げられている。これらの記述を見ても、指示待ち人間が多い日本人は「だったら常時着けておこう」となるに決まっている。なお、「通勤ラッシュ時や人混みの中ではマスクを着用しましょう」とのこと。さらに高齢者と会うときや病院へ行くときはマスクを「着用しましょう」としている。

このガイドラインを読んだ博物館の職員などは「図書館や美術館は会話をほとんど行わない場面扱いされているが、博物館は挙げられていない。よって博物館は対象外なのだろう。マスクは着用してもらおう」と判断してもおかしくない。

日本人の意志決定スタイルは仕事にも頻用される

こうした日本人的意思決定スタイルは、一般的な仕事の現場でも多用される。私がもともと働いていた広告業界はその傾向がとりわけ強い。たとえば、プレゼンに臨むにあたり、アイデアを3案用意する、といった「お約束」もそのひとつだろう。

広告会社のクリエイターやプランナーが「今回は、この渾身のアイデアひとつで勝負しましょうよ!」と社内の打ち合わせで営業担当に提案したとしよう。すると、クライアントと日常的にやり取りし、常に顔色をうかがって先読みする意識が強い営業担当者は、大抵の場合こう返してくる。

「いや、クライアントには選択肢を与えたほうが、絶対に心証がいい。仮にその一本で勝負した場合、クライアントが気に入らなかったら即、負けが決まってしまう。松竹梅の3つの選択肢を提示して、選んでもらうべきだ」

このような場合では、「松」がもっともぶっ飛んだアイデアであり、「竹」は中庸、「梅」は面白くもなんともない平凡なもの……というのが相場だ。そして、提案を受けたクライアントが社内会議で「揉んで」みた結果、選ばれるのは大抵の場合「竹」なのである。さらに、その「竹」案が通ったとしても、クライアントは追加でこう依頼してくることがたいへん多い。

「この『竹』案をベースに、若干『松』の奇抜さや斬新さ、『梅』の慎重さをまぶすような方向で再提案してもらえないか」

広告施策には多額のカネが動くので、失敗する可能性は極限までそぎ落としたいし、何かを選択するにしても慎重になるのは理解できる。だから大企業のCMでは有名タレントを起用して最低限の安心材料をまず確保する流れになりがちだし、無難でつまらない演出に落ち着くことが多いのだ。私は4年で広告代理店を辞めたが、この手の中庸さ、無難さが求められること、そしてプランナー側の裁量が少なすぎることに辟易としたことも、退職を決意した理由の一部になっている。