「お上が正しく判断してくれる」という考えが根強い

組織の意思決定や判断において、「当事者間の行為が、一方の立場では利益になるものの、他の立場では不利益になること」という利益相反の排除は、組織のコンプライアンスにおける最重要の要素である。しかし、「お上があらゆることを正しく判断してくれる」という考え方が根強い日本の社会で特に公的機関の判断に関しては、「利益相反の排除」の重要性の認識が乏しい。

そのため、客観的、中立的に行われるべき調査や検証等に、利害関係を有する人、機関が関わり、重要な役割を果たすことも珍しくない。

運転者側が「自動車の不具合」を訴えている場合も、その事故車両を、事故の当事者とも言える製造メーカー側に持ち込んで検証を行うことの利益相反が問題にされることはほとんどなく、むしろ、「当該車両のことを最もよく知る製造メーカーによる検証であること」で、検証結果が信頼される場合が多い。

警察にとっては、予算面の制約もある。製造メーカーであれば、その責任上、警察からの依頼に無償で応じてくれるが、それ以外で自動車の不具合の検証をしようとすれば、相応の費用がかかる。そこでは、車の不具合が事故原因であった場合に重大な責任が生じることになる製造メーカー側による検証の客観性の問題は無視される。

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運転者側が「車両が原因」を立証するのは極めて困難

例えば二〇一九年に東京・池袋で起きた旧通産省工業技術院元院長、飯塚いいづか幸三こうぞう氏のプリウスでの事故、二〇一八年に起きた元名古屋高検検事長の石川いしかわ達紘たつひろ氏のレクサス暴走による事故は、仮に、運転者側の主張が正しかったとすれば、車のコンピューターの誤作動か何かの原因で、突然アクセルがかかった状態になったことになる。

その場合、運転者側の供述を裏付ける情報があるとすれば自動車のコンピューターの中だ。それを、事故時の状態のまま保存し、運転者側の主張を裏付けるようなデータがあるかどうかの確認をすることをその車両を製造したメーカーによる検証に期待することに問題はないのだろうか。

運転者側が、コンピューターの作動上の問題に関連する「車の不具合」の可能性を主張して過失を否定しても、警察の交通事故捜査は、事故原因が車両の方にあったと結論づける方向で行われることはほとんどない。

運転者側が、自らの過失を否定するための立証を行うためには、弁護側の依頼による専門家の検証を行うしかない。それは、費用面からも、一般的には、極めて困難だ。

警察の事故原因の特定を、運転手側が否定し、車両の不具合を正面から主張する場合、自動車運転過失致死傷罪についての刑事事件の裁判という司法の場で、警察の事故原因の特定を前提とする検察官の主張と過失を否定する運転手側の主張とが正面からぶつかり合うことになる。