マッキンゼーに「居場所」を確立した瞬間

(写真左から)ズービン・メータ:1936年、インドのボンベイ(現・ムンバイ)生まれ。ロスアンゼルス、イスラエル、ニューヨーク各交響楽団の音楽監督。小澤征爾:1935年、満州の奉天(現・瀋陽)生まれ。59年、ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。73年からボストン交響楽団音楽監督。2002年、ウィーン国立歌劇場音楽監督。ヘルベルト・フォン・カラヤン:1908年、オーストリアのザルツブルク生まれ。55年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団終身常任指揮者に就任。89年没(撮影=編集部)。

プロジェクトではメンバーを5つのチームに分けて、それぞれのテーマで改善作業を進めていた。その成果を全社員の前で中間報告することになったのだが、発表会の当日、大雪に見舞われた。

都心から車でやってくるマッキンゼーの外国人メンバーは足止めを食らって、発表会が始まる予定の朝9時にはとても間に合わない。昼過ぎに到着できるかどうかだという。

すでに会場には社員が集まっていた。プロジェクトメンバーの社員は緊張と不安の色が隠せない。意を決して、私はその場を仕切ることにした。プロジェクトの5つのテーマを全部1人で説明したのだ。

自分の担当チーム以外の仕事の状況も把握していたし、プロジェクトの全体図を誰よりも理解しているつもりだった。

結果は大成功で、「問題点が非常にわかりやすく、解決策も見えてきた」と所長から高く評価してもらった。

マッキンゼーのアソシエイト(マネージャーに次ぐ同社の職位。平社員)というのは、位は皆同じだが、序列は経験や入社年数で決まってくる。このプロジェクトチームでは私が一番若いし、新参者だし、当然、一番の下っ端だった。

しかし、中間報告を境に立場が反転した。所長以下全社員が「何かあれば大前に聞け」という雰囲気になり、他の外国人メンバーは見向きもされなくなったのだ。

大指揮者が世に出てくる典型的なパターンがある。前任の大指揮者が病気やアクシデントで出演できなくなったときに、急遽、代役で見事にタクトを振る——。これである。カラヤン、ズービン・メータ、小澤征爾、いずれも代役でステージに立って拍手喝采を浴びたことが飛躍の大きなきっかけになった。無論、見えないところでタクトを振り続けた努力の賜物だ。

私もまさにこのパターンで、クライアントの信頼を勝ち取った。半人前のコンサルタントが、文字通り、マッキンゼー東京事務所のアソシエイト(平社員のコンサルタント)として、居場所を確立したのだ。

プロジェクトのスタートから2年後、クライアント企業の収益は改善されて、黒字転換を果たした。大いに感謝されて、以降、15年の長きにわたってマッキンゼー東京事務所をご愛顧いただいた。系列会社からの仕事も含めてすべて指名付きのオファーである。
マッキンゼーが日本に定着する足掛かりになった重要案件であり、大きなチームで若手の人材を育成しながら結果を出すというこのときの手法が東京事務所の定番になった。

次回は「マッキンゼー vs. BCG」。7月30日更新予定です。

(小川 剛=インタビュー・構成)