シンガポールの出生率は日本より低い。なぜ深刻な少子化が続いているのか。5年間そこで子育てをしながら調査をしてきたジャーナリストの中野円佳さんは「シンガポール人にとって、子育てをするうえでの大きなハードルは、『お金がかかること』だと指摘されてきた」という――。

※本稿は、中野円佳『教育大国シンガポール』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
※記事内の金額などのデータや状況についての記述は、2018年~2021年の取材当時のものです。

日本よりも低い出生率

教育役割は親にとって経済的にも負担となる。シンガポール人を配偶者に持つある日本人女性は、「私たちは引っ越せないので、今この環境で子育てをしているけど、あえてシンガポールで教育を受けさせたいとは思わない」とつぶやく。

私は、シンガポールで子育てのしやすさを実感してきた。街中での子連れへのやさしい視線に加え、共働きが前提の社会であるがゆえのサービスの多様さにも助けられる。しかし、これはあくまでも、余裕のなさすぎる東京との対比で、さらにいつか母国に戻る選択肢のある外国人の感覚なのかもしれない。そこで生まれ、そこで生きていくことが基本である人たちにとっては、ここまで見てきたように、シンガポールの教育システムは時に過酷だ。

実際に、住んでいる人たちにとって、必ずしも子育てがしやすいとは言いがたいことをうかがわせるのが、シンガポールの極端に低い出生率だ。

シンガポールでは、1970年代以降に急速に少子化が進み、現在では出生率が1.2以下で推移している(図表1)。都市国家であることをふまえ、東京と比べれば同程度だが、日本全体よりも低水準ということになる。

シンガポールの人口政策

シンガポールは、1965年の独立当初は、増加する人口と失業問題の解決を狙って「子どもは2人まで」というスローガンを掲げ、出産抑制政策を取った。

しかし、1970年代に、外資系企業の大量進出により労働力が不足し、また国民所得の向上の結果として、親が子ども数を少なくして自身の生活を楽しむ傾向が強まり、出生率が低下すると、出産奨励へ方針を転換しはじめた(岩崎 2005※1)。

1983年に、リー・クアンユー首相は、高学歴女性に対しては結婚と多産、低学歴女性に対しては出産抑制するという驚きの政策を発表した。大卒の母親には、出産や子どもの看病に際して、有給休暇や税金の払い戻しなどの優遇措置、希望するエリート学校への入学を優先的に認める一方で、世帯月収が1500シンガポールドル以下で学歴の低い母親には、第一子か第二子出産後に避妊手術を奨励し、手術を受ければ1万シンガポールドルの手当てを支給することを決定したのだ。

この政策は、優生学的だとして批判され、1984年の12月に、それまで一貫して与党として7割以上の得票率を保っていた人民行動党が、総選挙で79議席中2議席を失う「歴史的敗北」を見る。慌てたのか、高学歴女性への優遇策はその後廃止された。