お金が欲しいのは自分に見栄を張るため

坂井志穂がパパ活を始めたのは、「パパ活」という言葉が生まれる前で、「愛人紹介」と呼ばれた時代である。交際クラブに登録して何人もの男性を紹介してもらった。

パパ活はあんまりでした。月によっては依頼がないときもあって、あまり稼げなかった。稼げなかった理由は、かわいい女の子が多かったから。
それで最初から大人の関係は全然OKってしたけど、あまり依頼がなかった。会ってもご飯だけで終わることもあるし、交渉が苦手なので続かなかった。
おじさんにブスだから帰るわ、みたいなことを言われたこともあった。自分には合わないなと思った。

彼女が学生をしながら、風俗嬢とパパ活をしていたのは2013~2014年である。アベノミクスによって女性の貧困が深刻化する中で、華やかな日常を発信する港区女子が注目された時期である。

夜職を活発にやったのは遊ぶためと、あと見栄を張るため。インスタとかツイッターとかが流行って、港区女子が出てきた。
女の子がブランド物を持つことがステイタスで、それまで男性に舐められることが多かったので、ブランド物が欲しかった。可愛くなきゃいけないみたいな意識が芽生えて、洋服とかブランド物にお金を使っていました。
ホストも行っていたけど、貢がなかった。お金が欲しいのは自分に見栄を張るため、そんな感じ。自慢するためにやっていました。
ストッキング、ネクタイ、紙幣
写真=iStock.com/Ivan-balvan
※写真はイメージです

吉原の高級店より、もっと稼ぎたい

専門学校を卒業して、中小企業に就職した。就職してもメンズエステの仕事は続けた。初任給は安くても、メンズエステで稼げるのでブランド物も買えるし、歌舞伎町に遊びにも行ける。

学生のときは朝9時から17時まで授業、18時~深夜3時までメンズエステに出勤して3時から歌舞伎町で遊ぶ。そんな生活だった。社会人になっても19時からメンズエステに出勤して終電まで働いた。

とにかく風俗で働くのは楽しいって感じでした。しばらく昼職とメンズエステの仕事を続けたけど、コロナ前あたりに“究極の風俗って何だろう?”って興味を持ち出した。
それで、吉原の高級店を経験してみたくなった。その頃にメンエスに客で来た村上さんにスカウトされたんです。

コロナ禍の2021年10月、吉原の高級ソープランドに移った。すでに村上太郎からポルノハバー、AVプロダクション社長からAV女優のオファーを受けていたが、ペンディングして高級ソープ嬢になっている。

吉原では、そんなに稼げなかった。出勤すればひとりはつくけど、慣れてないのもあって2人とか3人とか。悪いときはひとりで帰るみたいな。
吉原って世界が気になっていて、人生の話のネタになるかなって思った。綺麗なドレスを着て、高いヒールを履いて接客するってことに興味があった。でも、思ったように稼げなかったのでポルノハバーになりました。

高級ソープ嬢を3カ月経験して、稼げたのは月80万円程度だった。メンズエステで稼いだ最高額100万円を超えることはなかった。想像していた華やかなソープ嬢にはなれなかった。2021年12月、村上氏に「ポルノハバーに挑戦したい!」と連絡している。