田舎暮らしは「家」を構えて終わりではない

こうした意識のギャップは多かれ少なかれ、どの地方にもある。人口減少に悩む自治体は、必死に「移住促進」を掲げている。コミュニティーを何とか維持し、消滅させないためには人口増が何としても必要だというわけだ。

だが、移住しようとするとそこには大きな壁がある。住民ならば水路の掃除などの共同作業に参加するのは当たり前という文化に、戸惑いを覚える移住者は少なくない。

新型コロナウイルスの蔓延で、在宅勤務が当たり前にできるようになった。働く際に「場所」の制約から解放されたと言ってもいい。「Zoom」や「Meet」などオンライン・ツールの一般化で、「田舎暮らし」を始める人が一気に増えた。ところが、2年ほどたって、「住む」というのは自分の「家」を構えるだけでなく、「地域」のコミュニティーに入ることなのだ、と改めて気が付いた、そんな人が増えている。田舎でもともとのコミュニティーのルールが残っているところに「入る」のはたやすいことではない、と感じているわけだ。

東京一極集中、あるいは都会回帰が再び始まった背景には、そんな「田舎暮らし」の生きにくさがあるのは間違いない。

リモート拠点では産業は根付かない

もちろん、そうした文化の壁だけではない。在宅勤務の普及は、「地方には仕事がない」というこれまで最大の問題に穴を開けた。東京の企業が雇った社員が、地方にあるサテライトオフィス、もしくは自宅で仕事をする。ソフトウエア開発や、デザインなどデジタル系の仕事では、物理的に都会に集まる必然性が大きく低下した。

だが、その地域に産業が生まれるわけではなく、法人税収もほとんど増えない。都会のリモート拠点というのは本来入り口で、その地域に企業なり産業が根付いていくことが重要だが、新型コロナ禍の地方移住は短期のブームに終わってしまった感じだ。

政府は「地域おこし協力隊」など若者が地方で活躍するきっかけ作りに力を入れている。一定期間、人件費を公費負担し、家もほとんどタダで住めることで、生活のスタートアップはできるようになった。ところが、その地域に定着できるかとなると、結局は仕事がない、というのがネックになる。若者の多くが一定年限を過ごして都会に帰っていく。