「NHKのど自慢」に出演も鐘が鳴らない
ただ、子ども時代の美空ひばりの歌については、称賛ばかりだったわけではない。
むしろ、これほど批判の対象になったケースも珍しいだろう。
先ほど、「NHKのど自慢」は、戦後民主主義を象徴する歌番組だと書いた。その意味では、当然万人に開かれたものであるはずだった。だが1946年12月、まだ素人だった美空ひばりが番組の予選に参加したとき、“事件”は起こった。
そのとき、ひばりは当時ヒットしていた「悲しき竹笛」(「リンゴの唄」という説もある)を歌った。もちろん、すでに圧倒的な歌唱力だった。だが、鐘は鳴らなかった。すなわち、合格でも不合格でもなかった。
理由は、選曲、そしてひばりの歌が“子どものもの”ではなかったからである。当時の常識(ある程度いまもそうかもしれないが)では、子どもは童謡や唱歌など、子ども用につくられた曲しか歌うべきではなかった。しかも「低俗」と考えるひともまだまだ多かった流行歌など、もってのほかだった。
だから、ひばりの歌は、そもそも採点の対象にされなかったのである。
「畸形的な大人」という評
その後ひばりが脚光を浴び、活躍するようになると、知識層を中心に「流行歌を唄う子ども」であるひばりへの批判の声が巻き起こるようになる。
「舞台でみるとそんなしわがれた声がいたいけな子供の肉体から出てくるので不思議な戸惑いを感ずる。こういった「畸形的な大人」を狙った小歌手が目下、大いに持て囃されている」(劇作家の飯沢匡、『婦人朝日』1949年10月号)、「近頃でのボクのきらいなものはブギウギを唄う少女幼女だ。(中略)いったい、あれは何なのだ。あんな不気味なものはちょっとほかにはない。可愛らしさとか、あどけなさがまるでないんだから怪物、バケモノのたぐいだ」(詩人のサトウハチロー、『東京タイムズ』1950年1月23日付け記事)(いずれも斎藤完『映画で知る美空ひばりとその時代』より引用)。
「畸形的」「バケモノ」といった苛烈な表現からもわかるように、それはもはや批判を超えたバッシングだった。
知識層から見れば、「子どもらしさ」という常識の枠を突き破り、しかも大衆の喝采を受ける美空ひばりのような存在は、恐れをも抱かせるものだったことがうかがえる。