「右のポッケにゃ夢がある」の意味

ひばりの歌は、彼女の演じる役柄、そしてその背景にある時代状況によって一層こころに響くものになっていた。その役柄には、敗戦後まもなく子どもたちが置かれた過酷な状況が色濃く反映されている。

『悲しき口笛』では、ひばりは戦災孤児という役柄だった。当時戦争で親を失った子どもたちは、自活する術もなく、少なからず浮浪児になった。

『東京キッド』のひばりの役柄も、戦災孤児ではないが、親から離れ独りぼっちになる。実際、映画のなかでも当初は浮浪児として男の子の格好で過ごす。浮浪児たちは、街頭で靴磨きなどをしてなんとか生き延びた。

『東京キッド』公開時のポスターでも、ひばり演じるマリ子が靴磨きのブラシを片手に持つ姿が大写しになっている。

歌の「東京キッド」のなかの有名なフレーズ「右のポッケにゃ夢がある 左のポッケにゃチューインガム」には、そうした厳しい環境のなかでの子どもにとっての希望が表現されている。

「夢」は、「チューインガム」が暗示するようにアメリカと結びつくものだった。敗戦直後、民主主義の国・アメリカは理想化された。たとえ身寄りがなくとも、自分の努力と才能で一人前になれるという思いを抱かせてくれる理想郷がアメリカだった。

ひばりが父親とともにアメリカに旅立つ『東京キッド』のラストは、そのことを物語る。

『東京キッド』ポスター
1950年、『東京キッド』のポスター(画像=松竹株式会社/PD-Japan-organization/Wikimedia Commons

なぜ美空ひばりの歌は染みるのか

そしてもうひとつ、敗戦で打ちひしがれた日本人にとって希望を感じさせてくれたのが流行歌だった。終戦直後大ヒットした並木路子「リンゴの唄」(1946年発売)も新しい時代への希望を歌ったものだった。

そしてラジオでは、戦後の民主化を象徴する2つの歌番組が企画された。1945年に放送された「NHK紅白歌合戦」の前身「紅白音楽試合」と、1946年1月に始まった「のど自慢素人音楽会」、現在の「NHKのど自慢」である。

前者が男女対抗という形式によって、そして後者はプロではなく素人でも放送で歌うことができるという点で、ともに歌による民主化を表現していた。

「天才少女歌手」美空ひばりは、そうした時代の潮流のなかで登場した。映画のなかで苦難に屈しない気丈な子どもを演じることで、彼女の歌は時代と共鳴し、焼け跡からの復興、その希望の象徴となったのである。

子役という観点で言えば、美空ひばりは、最も成功した「歌う子役」だったと言えるだろう。