「副知事をやってくれないか」最初は断るつもりだった
――なぜ「作家・石原慎太郎」について書こうと思われたのですか。
そもそものきっかけは、ぼくが東京都の副知事を引き受けた16年前のこと。
2007年5月に石原さんに「会いたい」と連絡をもらって、赤坂の料亭で会ったんだよね。『ペルソナ 三島由紀夫伝』という著作があるぼくにとっても、三島と交流があった石原さんと話してみたかった。
20人が座れそうな座卓にふたりっきりになると、「副知事をやってくれないか」と石原さんに頭を下げられた。小泉政権下で、4年間も道路公団民営化に取り組んで疲れ果てて、物書きに専念しようと考えていた時期だったから、最初は断ろうと思ったんだよ。
ただ石原さんの口説き方がとてもうまくてね。「猪瀬くん、ひらめくんだよ。ぼくは都知事になってから7本の長編を考えた。いろいろと思いつくものだよ」と。
確かに、都政に関わったからといって、都庁をテーマにした物だけを書かなければならないわけではない。ぼく自身も体験的に分かっていたけど、物書きのひらめきは、緊張感から生まれる。緊張感がなければ、いい仕事はできない。ある意味では、それがプロの物書きの極意とも言える。
石原さんの言葉に「なるほど」と惹かれて、副知事を引き受けた。
根源にはいつも「作家」が潜んでいる人だった
それに、石原さんは昨年亡くなる間際までずっと書いていたでしょう。
『絶筆』が発売されたのは、亡くなって9カ月が過ぎた昨年11月。石原さんは最期の最期まで作家だった。本当に大したものだ、とひとりの物書きとして感心させられたんだよね。
にもかかわらず、作家としての石原さんの評価は必ずしも高くない。
石原さんが亡くなったあと、編集者から石原さんについて書かないか、と声をかけられた時、はじめは断ろうと思った。けど、素の石原さんを知っているのはオレくらいかな、と考え直して引き受けた。先入観にとらわれずに、作家としての石原さんをきちんと評価できればな、と。
――猪瀬さんは『太陽の男』で〈石原慎太郎という人物にまつわるイメージから生じている『どうせ大した作家じゃないんでしょ』という予断が薄く広く共有されており……〉という評論家の栗原裕一郎さんの言葉を引用していますね。
石原さんの代表作は芥川賞を受賞した『太陽の季節』だけど、それ以外にもいい作品はたくさんある。とくに『亀裂』は、三島の『鏡子の家』に影響を与えるほどの作品だった。
石原さんはデビュー以来、作家として毀誉褒貶にさらされてきた。政治家になって好き勝手しゃべっているから、作家として評価がされにくかったんだろうけど、ぼくには石原さんの言動の根底には「作家」が潜んでいるように感じていた。