――日本は圧倒的な男性社会ですが、大半の家庭で妻が家計を握っているという統計も出ており、その点では珍しい文化だとも言えます。米国では、夫が家計を握る世帯が多いのでしょうか。

米国社会全体のことはわかりませんが、わが家や私の周りの家庭では、妻と夫がそれぞれの銀行口座をキープしながら、夫婦の「共同口座」も持っています。わが家では、夫と私が収入に応じて共同口座にお金を入れ、生活費をまかないます。娘の教育費など、さまざまな出費について、夫婦で相談しながら決めます。

ひるがえって、日本では女性が家計を握る家庭が多いというのは興味深いことですね。日頃、家事や育児など、家庭を切り盛りしていることに対する「交換条件」として、女性がキャッシュを自由に使えるのでしょうか。個人的には、日本の既婚女性が夫との関係にとどまらず、女友達との関係を大切にし、ランチや旅行などを共にするのを見て、常々、素晴らしいことだと思っていました。

「母性」に政治を安易に持ち込んではいけない

――日本には、専業主婦として自分の手で子供を育てたいと考える女性もいます。しかし、共働き家庭が増える中、家庭に専念する生き方が軽視されつつある傾向も見られます。家事や育児、介護といった仕事はハードな「シャドーワーク(社会にとって必要だが、無給の仕事)」であるにもかかわらず、です。

面白い質問ですが、はるか昔に議論された問題でもあります。20世紀初期に日本でフェミニズム第1波が起こった時、まさにそうしたことが盛んに論じられました。家事労働や育児の金銭的評価をどうすべきか、と。

しかし、「母性」は諸刃の剣です。というのも、母性を象徴する出産という行為は女性にしかできないため、母性をたたえることは、女性が家庭に入って夫の収入に依存することにつながるからです。

母の手の中で眠っている新生児
写真=iStock.com/inarik
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そして、厄介なのが、家事や育児は他の仕事と違い、認識されにくい「見えざる労働」であることです。それだけに、母性の信奉・尊重は非常に微妙で、慎重な対応が求められる問題なのです。(1900年代初頭に形成され始め、第2次世界大戦終結まで続いた)日本帝国主義の時代を忘れてはいけません。当時、少なくともレトリック的・政治的には母性が最も重要なものとされていました。母性に「政治」を持ち込むことは非常に危険です。

「女性は家庭」を助長する日本の税制モデル

状況を改善する唯一の道は家事や育児を「仕事」として認識することですが、ひと筋縄ではいきません。家事や育児は私的な領域に属し、「感情」と結びついているからです。米国では、家事や育児は、仕事をするうえで感情が重要な役割を果たす「感情労働」として語られることがしばしばです。

私自身は、そうした考え方に複雑な思いを感じます。というのも、(接客や医療、介護といった)感情労働は、感情を「資本主義的ロジック」に組み込むものだからです。「仕事でこれだけの感情を使っているのだから、それに見合う報酬が払われるべきだ」と。つまり、母親の仕事を感情労働だと見なすことは、基本的に育児をそうしたロジックで語ることになるのです。

ひるがえって日本では、税制のせいで共働きの魅力が半減し、家庭に入ることを選ぶ女性もいるようですね。働く母親を支援するシステムがあっても、税制が彼女たちのキャリアの追求を阻む要因になりえます。見方によっては、女性が家庭に専念するというモデルが(国家によって)構築されているともいえます。