「誰かのため」に隠された欺瞞

人間はまったくもって「誰か」のために生きていない。自分本位でしかない。それが性根だ。「誰かのため」などとうそぶく連中は、あくまでも社会で「常識」や「暗黙の了解」とされる行動様式に盲目的に従っているだけ。「悪目立ちしたくない」「本当はイヤだけど、周囲から浮いてしまうのは怖い」「攻撃されたくない」と考え、自分を押し殺し、ひたすらに「常識人」「善良な人」とまわりから見てもらえるよう立ち振る舞う。なんと欺瞞ぎまん的な生き方だろうか。

ツイッターユーザーの「ポン・コツオ」氏は2022年12月19日、こうツイートした。電車内を換気するため、誰かが窓を開けた件についてだ。

「大切な誰かをマスクで守ると言いながら、電車内の見ず知らずの誰かに寒い思いさせてどうするんだよ。そんなに外気がほしいならトロッコ列車の沿線行きなよ。」

これは鋭い指摘である。結局「マスク着用」と「ワクチン接種」、そして「移動の自粛」が有効性の有無にかかわらず「誰か」のためになる尊い行為であり、それを励行しない人間は「誰か」を大切にできない自分勝手な人間という空気になってしまっただけなのだ。

しかもタチの悪いことに、これら3つを実践すれば「自分は社会のために役立っている」「他人を大切にできる善良な人間である」と世間から認めてもらえるかのような空気まで醸成されてしまった。それだけにとどまらず、実践しない人間のことを一方的に「反社会的勢力」扱いし、差別する正当性すら与えられたかのように振る舞う連中までも出現させてしまった。

日系エアラインはいまやマスク警察の急先鋒

以前、当連載でも指摘したとおり、差別は快感である。車内換気にしても、これが社会の役に立つと思っているのだろう。しかし、今年の日本の12月は猛烈に寒い。大切な誰かが電車内に吹き込む冷気により風邪をひいたらどうするのだ。結局、昨今やたらと目に付くようになった「誰かのため」「利他的であれ」に類する価値観は単なる風潮でしかなく、なんとなく社会のコンセンサスのようになってしまった見当違いの行動様式に過ぎない。

思えば、コロナ騒動の初期の頃、専門家は換気の重要性を説いた。それを受けて、航空会社は「機内の空気は3分で完全に入れ替わるから安心」と声高にうたっていた。だが、いまや日系エアラインこそ、マスク警察の急先鋒である。これも「マスクをすることが誰かのためになる」という珍妙なコンセンサスに従った結果といえるだろう。

飛行機内でマスクを着用する人々
写真=iStock.com/Kiwis
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搭乗前の待合スペースや機内では「他のお客さまへのご不安解消のため、常にマスクをご着用ください」などと再三アナウンスするくせに、「機内の空気は3分ですべて入れ替わる」ことはほとんど強調されなくなってしまった(少なくとも、私がいつも利用しているスカイマークはそうだ)。むしろ乗客に訴えるべきは「機内の空気は清浄に保たれているので、過度に神経質にならなくても大丈夫ですよ」「こちらからマスク着用を強く求めることはしません。個々人の判断でご対応ください」といったことだろう。そうすれば乗客も安心感を抱けるだろうし、快適に過ごせるようになると思うのだが……。