「誰か」の範囲が明らかなケース、不明なケース

それにしても、この「誰か」という言葉は、げに便利である。「誰かに迷惑をかけるかもしれないから○○をしてはいけない」という言い回しは反論を許さない。ただ、ここで改めて思うのだ。「『誰か』って、誰だよ?」と。

2005年、奈良県生駒郡に出現した「引っ越しおばさん(騒音おばさん、と呼ばれることも)」がテレビやネットで話題になった。布団たたきで布団をバシバシとたたきながら、近隣住民に向かって「引っ越し、引っ越し、さっさと引っ越し、しばくぞ!」とヒップホップ風の軽快なフレーズを、鬼の形相で叫ぶ老婆である。

この場合、明確な被害者は近隣住民である。これは「誰か」ではなく、住所も名前も把握されている人々である。たとえば自転車泥棒が発生した場合なども、明確に被害者が存在する。ならず者が山にゴミを不法投棄した場合であれば、私有地なら土地の所有者に、公的な場所なら役所など所管する組織に迷惑がかかる。投棄の結果、景観が悪くなる場合には、近隣住民にも迷惑がかかることになる。ゴミの処分に公金が投入されるとなれば、ならず者の尻拭いで税金が無駄遣いされる形なので、その自治体に住む住民にも迷惑がかかる。これらの事案は被害者の範囲が明らかなパターンだ。

粗大ゴミの不法投棄
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一方、ゴミのポイ捨てや、かんだガムを路上に吐き出す行為は「誰か」に迷惑をかけることとなる。雨の日、スーパーの床に濡れたビニール製の傘袋を放置したら、滑って転ぶ人が出るかもしれない。これも迷惑を被るのは「誰か」だ。このような事案においては、「誰か」という表現は用法的に正しいといえる。なにしろ、誰が迷惑・被害を被ったのか、判然としないのだから。

傘袋の事例でいうと、仮に不届き者に同行者がいたのであれば、その同行者が「誰かが転ぶかもしれないだろ! 横着せず、ちゃんとゴミ箱に捨ててこい」と注意をするべきである。これらは明らかに「悪事」だからだ。ゆえに「誰か」のためを思って、厳に慎まなければならない。

別の例を挙げるなら、ある属性の人を差別するような発言を耳にした場合、「おい、やめろよ。そんな発言を聞いたら、誰かが傷つくかもしれないだろ」と周囲の人は指摘することもあるだろう。これは「偶然耳にして傷つく人がいるかもしれない」という意味で、「誰か」という大づかみな表現をされても違和感をおぼえない。

英語に置き換えてみると「誰か」の範囲が捉えやすくなる

悪行だけでなく、善行においても「誰か」という表現は用いられる。年末、市役所のポストに【寄付】と書かれた1000万円入りの匿名封筒が突然届けられたりすることがある。そこには「困っている方のために使ってください」なんて手紙が添えられているわけだが、これはすなわち「市内の知らない誰か」のために使ってほしいと送り主が考えていることを示している。さらに言うと、この送り主に対しても「どこの誰かはわからないが、親切な人がいるものだ」という感想が向けられることになる。

電車で高齢者に席を譲ることもある。この場合は「誰か」ではない。「目の前で杖をついている、座りたいであろう老人」だから、匿名性は薄れる。「誰か」ではなく、明確に存在する「電車内に立つ高齢者」なのだ。

英語で「誰か」を指す単語といえば、まず「anonymous」が思い浮かぶが、ニュアンスとしては「匿名」の意味合いが強い。日本語における「誰か」はもう少し広い範囲に使われるから、英語で説明するなら「someone who might get involved in(もしかして関与するかもしれない想像上の人物)」や「someone you may harm(あなたが被害を与えてしまうかもしれない想像上の人物)」といったところか。ちなみに英語でsomeoneを用いる場合は、もう少し対象が特定されていたように思う。「someone you loved(あなたが過去に愛した人)」や「not you, someone else(あなたのことではない。別の人だ)」、「someone like you(あなたみたいな人)」のように、会話をする者たちのあいだでは「誰か」の匿名性は低いといえるだろう。