「ああ、俺を待っててくれたんだ」と妙に感動した
【村井】日本のトップであるサドラー氏はJリーグの事務局に行くわけですが、その時、事務局は「村井は忙しいから、どうしても会いたければミャンマーでなら会えるかもしれません」と伝えたようです。まさかミャンマーまで行くとは思わないから「お会いできませんよ」と婉曲に伝えたつもりだったのでしょう。ところが、サドラー氏はヤンゴンまで来た。
チェアマンになって3カ月、「Japanese Only」の問題やら八百長疑惑やらに追いまくられ、W杯ブラジル大会はまさかの1分け2敗。がっくりと、うなだれて地球の裏側から戻ってきたら知らない外国人が私を待っている。「ああ、俺を待っててくれたんだ」と妙に感動したのを覚えています。
――それ、私もやります。新聞記者用語では「夜討ち朝駆け」なんて言いますけど、相手が酔っ払って帰ってきたときに、玄関先で待ってるんですね。雨なんか降ってると最高で、「こいつ俺が飲んでる間、ずっと傘さして待ってたのか」となるんです。
【村井】ですよね。おまけにミャンマーでは日本にいるときほど日程がタイトじゃなかったので「せっかくだから、話だけでも聞こうか」と。
2年後に再会しても「久しぶり」とは言えなかった
――でもその時は放映権の話ではありませんね。
【村井】そうなんです。当時はパフォーム社そのものがまだ、後にスポーツのライブ配信を始めるなんて想像していませんでしたから。サブスクリプションの事業計画なんて、まったくありませんでした。ただ「俺たちはこんなことをやってるんです」というサドラー氏の話を聞いて「へえ、そんな仕事もあるんですね」という程度でした。
――2年後にそのサドラー氏と再会するわけですね。
【村井】それまでJリーグの放映のメインはスカパーさん(スカパーJSAT)だったので、スカパーさんに優先交渉権がありました。10年間、Jリーグを支えてくれたスカパーさんには本当に感謝しているのですが、この時点では優先期間内での交渉は成立しませんでした。
そこでパフォーム社とも交渉することになります。初めてのミーティングは2016年の4月、場所は都内のホテルです。そこで現れたのがサドラー氏でした。交渉ごとは最初が肝心。メンバーに「にやけた顔は絶対にするなよ」と念を押して部屋に入りました。そんなことで、私もサドラー氏に「久しぶり」とは言えませんでした。