ただ、この中国による実効支配は、2002年に中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)が合意した南シナ海行動宣言に反するものだった。南シナ海行動宣言は「領有権紛争は平和的手段で解決する」こととともに「関係国は南シナ海における実効支配を拡大しない」と謳っていたからだ。
習近平とのトップ会談で「領有権棚上げ」に
スカボロー礁がある海域は領有権主張が最も複雑に絡み合う南沙諸島海域からは離れているが、南シナ海の一部である。ゆえに中国によるスカボロー礁の実効支配はASEAN諸国と中国が南シナ海紛争の解決の基盤としてきた南シナ海行動宣言に反することは明確だった。
しかし、ドゥテルテは就任直後の2016年10月に北京を訪れ、習近平国家主席と会談、ともかくも「領有権問題は棚上げ」とするよう習近平を説得した。それまでの米大統領オバマへの罵倒発言などを知っていた習近平は、長年の親米国フィリピンを親中に取り込む絶好の機会と思ったのだろう。この提案を受け入れた。
領土問題の最終解決は、日本が抱えている問題でも明らかなように非常に難しい。自国が主権を主張している島などをめぐって主権に関して譲歩すれば、その国の指導者は右派や保守派を中心に国内で徹底的に叩かれる。領土や国境の変更が行われるのは、かつて日本やドイツが経験したように戦争が行われた後だけだとも言える。
アジアで例外的に平和的に領土問題が解決したのは、シンガポールとマレーシアが領有権を争っていたシンガポール海峡内にあるペトラブランカ島が唯一と言っていい例だ。
この無人島をめぐって1980年代からシンガポールとマレーシアは互いに領有権を主張してきたが、最終的に国際司法裁判所(ICJ)に判断を委ねることで両国とも合意、2008年、ICJは判決でシンガポール領と認めた。マレーシアも判決を受け入れ、現在に至っている。
親中路線に舵を切る
このスカボロー礁の「領有権棚上げ」について習近平は、中国国内向けには特に説明していない。フィリピン側だけが事実上の領有権棚上げで合意したことを発表、ドゥテルテは「これからはフィリピンの漁民は漁ができる。ただし、環礁の中だけは、フィリピン、中国の両漁船とも禁漁区とする」と述べた。
その後、ドゥテルテは明らかに歴代大統領が踏襲してきた親米路線から親中路線に舵を切り、新型コロナが流行する前の2019年8月までに計5回、中国を訪問している。その一方で、米国訪問は一度もしないまま任期を終えた。
このフィリピンの親中転換は中国にとっても「棚ぼた」のような外交成果であり、在フィリピン中国大使館などは「大歓迎したい」といった大喜びのコメントを何度か出した。習近平にとってもそうだったはずで、スカボロー礁の領有権棚上げぐらいは支払ってもいい対価だったとみられる。