末期的な治安の悪さを改善したドゥテルテ政権
ドゥテルテ政権以前、何よりもフィリピンの人々を苦しめていたのは、末期的ともいえる治安の悪さだった。
ノイノイ・アキノ政権(2010~2016年)時代に、長年の知り合いのフィリピン人ジャーナリストであるダリオ・アグノテと会食をした際、彼がマニラ首都圏の治安の悪さについて、深刻に嘆いていたことを思い出す。彼は国立フィリピン大などがある首都圏東方の文教地区ケソン市在住で、現在は中国の新華社通信マニラ支局記者として働いている。
「治安が年々悪化していて、マニラに住むことが恐ろしく感じるようになった。最近、自宅の隣の家に3人組の銃を持った強盗が押し入り、家族全員を縛り上げて金品を奪って行った。その家族はその家を売却して引っ越して行ったよ。僕も今、親戚を頼ってアメリカに移住することを真剣に考えている」
彼の嘆きを聞き「そこまで深刻な事態に至っているのか」とあらためて思ったことを記憶している。
筆者自身もそのころ、出張取材などで日本からマニラを訪れた際は、人通りが多い一部の繁華街の中心部を除き、夜道を歩くことは一切しないようにしていた。歩いて5分の場所に行く時も、あえて相対的に安全なタクシーを利用していた。
異様にハイテンションなタクシー運転手がいた
そのタクシーに乗る際も、後部シートではなく、必ず助手席に座るようにしていた。
タクシー運転手の中には犯罪集団とつるんでいる者もいて、外国人旅行客や海外の出稼ぎから帰ったばかりで金を持っているマニラ空港に到着したばかりのフィリピン人客を犯罪集団のアジトに連れて行き、身ぐるみをはぐという事件も時折起きていたからだ。
助手席に座るのは、暗がりに連れ込まれそうになったら自分がハンドルを切り、ブレーキを踏んで逃げ出すためで、フィリピン在住期間が長い日本人から教えられていたことだった。
さらに、そのころまでは、異様なほどにハイテンションなタクシー運転手も多かった。
客に話しかけるというよりも、仕事や渋滞の愚痴を道中独り言のように言い続け、目の前で危険な割り込みをしてくる車があろうものなら、運転席から降りて、そのドライバーを怒鳴りつけるようなことがよくあった。
後に知ったことだが、深夜勤務が多いタクシー運転手には覚醒剤の常習者が多かったことと関連していたように思える。ドゥテルテ政権下では、そのような異様なほどにハイテンションなタクシー運転手はほとんどいなくなった印象がある。