「その人だけじゃなく、近所には警察の戸別訪問を受け、殺された人がたくさんいる。その遺族たちは警察に対して怒るというよりも、家族の中に麻薬常習者がいたことを恥じて、ひっそり暮らすようになっている」と彼女は言う。
超法規的殺人は人道上の問題があったのではないかと聞くと、彼女は少し感情的な口調になって言った。いつもは温和な彼女のその口調に驚かされた。
「これまで麻薬中毒者にどれだけ私たちがひどい目にあわされてきたか知ってる? この近所にも中毒者に理由もなく殺された人がたくさんいるんだから」
これが、最初から彼女が非協力的だった理由と知った。
実際、フィリピン各地では、異様で残忍な殺人事件がしばしば起きており、そのかなりの部分が覚醒剤中毒者による犯行と見られている。
2017年にはルソン島ブラカン州で、覚醒剤常習者の2人の男が、近所の民家に乱入し、1歳、5歳、11歳の子ども3人とその母、祖母の一家5人を惨殺する事件が起きた。覚醒剤による幻覚症状の末の犯行とみられて、犠牲者と犯人との間にはトラブルなどもなかったとされる。
違法薬物は今も市中に出回っているが…
2021年4月には中部ネグロス島のバコロド市で4歳の女児を含む一家4人が覚醒剤中毒の男にハンマーで殴られ、惨殺される事件も起きている。
事件報道が多いピープルズ・ジャーナルなどタブロイド判のフィリピンの大衆紙を読むと、ほぼ毎日のように動機不明やささいな理由での陰惨な殺人事件が報じられてきた。これらの事件には、覚醒剤常用者が関わっているケースが多いとみられる。
それらの記事の多くは地方発の短い雑報で詳細が書かれていない場合が多いのだが、記事をどう読んでも、陰惨な殺害に至った動機が不明なのだ。
ちなみに、ドゥテルテ政権による徹底した麻薬撲滅政策によっても、覚醒剤を中心とした違法薬物はなお市中には出回っている。しかし、密売人にとってもリスクが大きく高まったことから、その価格は高騰し続けている。
以前は常用者だったという首都圏のタクシー運転手は「かつてシャブ(フィリピンでもこう言う)は1パケ(通常0.5ミリグラムほど)200ペソほどだったが、今は500~600ペソするようになっている」と証言した。
この値段はフィリピン人の日給にほぼ相当する。「値段が急騰したことを機に覚醒剤の常用をやめた知人も多い」とその運転手は言った。