韓国ソウルの繁華街・梨泰院(イテウォン)で起きた雑踏事故では、150人以上が犠牲になった。ライターの安宿緑さんは「犠牲者の多くは20~30代の若者だった。韓国の若者は就職難やコロナ禍による社会的孤立で苦しんでおり、その発散として梨泰院に集まったのではないか」という――。
2022年10月29日夜、韓国・ソウルの繁華街・梨泰院にて、ハロウィーンのために集まった多数の若者らが転倒した事故による負傷者を運ぶ救急隊員ら
写真=AFP/時事通信フォト
2022年10月29日夜、韓国・ソウルの繁華街・梨泰院にて、ハロウィーンのために集まった多数の若者らが転倒した事故による負傷者を運ぶ救急隊員ら

もともと「異端」が住まう街だった梨泰院

10月29日夜、韓国の梨泰院で、150人以上が雑踏事故の犠牲となった。

梨泰院を東京の街にたとえるなら、六本木や裏原宿の消費文化に、蒲田や川崎の雑然さを付加したような場所である。

梨泰院は李氏朝鮮時代から「異他人」の街、時には「異胎(混血児)院」とも呼ばれた。文禄・慶長の役、そして清との戦争で、敵軍との間に生まれた子供や異民族が定住したのが、街の起こりだとされる。

厳格な家父長制とは一線を画するエリアに

国際色豊かな街となったのは、1953年、近隣の龍山(ヨンサン)に、植民地時代の日本軍の兵営施設を継承した駐韓米軍の基地ができたことが大きい。

朝鮮戦争では北朝鮮からの避難民を含む全国各地からの移住者が溢れ、周囲には無許可のプレハブ村が建った。

戦争終結後、本格的に基地村として機能するようになると、龍山周辺で米軍を相手にしていた私娼が集い一大売春街を形成した。

米軍との国際結婚も盛んで、年老いてもなおその生き方を貫く女性たちの姿は、韓国の厳格な家父長制からの解放を求める姿勢でもあるとしてドキュメンタリー映画にもなった。

そうした移住者の街としての歴史はLGBTコミュニティーの発足など、多様性を帯びた現在の街の様相につながる。

90年代にはジェントリフィケーションの波が訪れ、97年にはソウル市初の観光特区として指定。ルーフトップの多いオシャレな若者の街、異国情緒のある商業の中心地として定着した。梨泰院北部を走る、外国料理店とカフェが集まった「経理団通り」の人気も高い。

人でごった返す梨泰院。今年10月上旬撮影
撮影=プレジデントオンライン編集部
人でごった返す梨泰院。今年10月上旬撮影

そんな梨泰院に対するイメージは韓国人の間でも二分されている。華やかで楽しい街という人もいれば、「梨泰院の名前を聞くだけでも嫌な気分になる」「外国に占領された街」「陽キャの巣窟」「見るべきところが何もない」と毛嫌いする人もいる。立ち位置としては、日本の渋谷とほぼ同じと考えて良いだろう。

梨泰院で毎年、ハロウィーンが開催されるのは「ハロウィーン=欧米文化」という意識があり、2011年ごろから人が集まるようになった。

外国人観光客の姿も多い。今年10月上旬撮影
撮影=プレジデントオンライン編集部
外国人観光客の姿も多い。今年10月上旬撮影